生徒の鈍い反応も想定内の範囲……?

 9組での授業。「時間の自由」の2時間目である。これまた公開授業である。
 他のクラスでもやったように、二つの時間、二つの時間の自由に関連するキーワードを赤と青とで塗り分けさせ、それを分類していく作業である。黒板を左右二つに分け、横書きで生徒に書き出させていった。
 このクラスの特性なのか、それとも「二つの時間」と「二つの時間の自由」とを一緒に考えることができなかったのか、生徒を指名して黒板に書かせたのだが、今回は難航した。黒板の前で立ち往生する者が数人いた。私が前回は「時間の自由」についてマークさせたので、それと「時間」についてのキーワードとアバウトにひっくるめて考えることができなかったのかなぁ。
 それでも何とか強引に7つの要素を引き出させ、そこからカテゴライズして3つのポイントを抽出し、まとめていく作業をさせる。今回は一つの工夫として、まずは生徒にまとめさせ、次にカテゴライズすることを教えてやらせてみた。それでもなかなか生徒はまとめきれなかったようだ。
 しかし、今回の授業はとにかく生徒に手を動かせることが目的である。したがって、うまくできないという経験も重要な意味を持っていると思う。できなかったという経験が、そのテクニックを捨てさせるか自らの未習熟を考え直すかのきっかけになるだろう。何はともあれ、やってみなければ分からないものだ。そういう意味で、今回の授業の生徒の反応の不活発さは意味があると思う。