「富岳百景」の授業

 7組での授業。これで3クラスとも「富岳百景」が終わる。何とか試験範囲を終わらせることができた。
 7組は他のクラスより若干進んでいたので、主人公の婚約が一頓挫している場面から読み進める。今回は、とにかく試験範囲を終わらせねばならないという至上命令があるために、細部の読み取りなど無視してゴリゴリと進んでいくしかなかった。しかし、一つ一つの表現を考えるならば、やはり必然的な読みというのは出てくるものだ。
たとえば次の部分である。

「この母に、孝行しよう、と思った」

 ここには「孝行しよう」という未来への意志が語られている。従って、単に相手の母親への感謝の念だけではなく、自己の今後の新しいきちんとした生活を送るとの決意も盛り込まれていることになる。このあたりを、表現の細部に注意しながら、生徒と一緒に読みたかったなぁ。そうすればもっと納得のいく解釈が得られたのだ。
 小説の読解は面白い。作者がなぜその表現を用いたか、そこを考えることによってさらに一歩進んだ解釈が得られる。単にストーリーの展開がもたらせる観念だけではないものがある。そこを味わうべきなのだ。