「鶏鳴狗盗」の授業

 4組での授業。試験範囲を終わらせるのに一番せっぱ詰まっているのは古典講読の方かもしれない。「鶏鳴狗盗」は教科書で4ページの分量だが、今日と明日の後2コマしかないのに、進んでいたのは最初の2行のみ。これは大変だということで、今日は飛ばした飛ばした。それでも生徒に口語訳をさせ、重要句法はある程度きちんと説明して、今日1日で2ページ半進んだ。これだけ進んでいると明日が助かる。
 しかし、7組の古典でもこのクラスでも、否定の反語表現の返しが肯定になるということが理解できていなかった。生徒は「〜ないことがあるだろうか、」という表現の返しをどうしても「いや、ない」と訳してしまう。同様の表現で同じ間違いを7組でも4組でもやられた。これは結構根深い誤解である。
 生徒は「〜ないことがあるだろうか、」の直前の部分の表現に引っ張られて「いや、ない」としてしまうんだろうね。しかしそれは反語表現の何たるかを正確には理解していない証拠である。というよりは論理学の問題だろうか。
 論理演算子という考え方が論理学にはある。その論理演算子を用いて説明すれば、「Aであり、またBである。」という「また」や「あるいは」などの累加の接続詞によってつなげられる関係は「A+B」という足し算で表現される。そして、「〜でない(A)ことがある(B)」という一文で表現される関係は「A*B」という掛け算で表現される。よって、「〜でないことがある」という表現は「ー(マイナス)」*「+(プラス)」=「ー(マイナス)」となり、たとえ文の終わりが肯定であっても、文全体としては否定文になる。これは「〜でないことがあることがあることがあることがあることがある……」と肯定表現をどれだけ重ねようとも論理演算としては掛け算になるので、否定表現が一つ入っていれば文は否定文である。よって、「〜でないことがあるだろうか、」という否定文の形の反語表現の返しは「いや、ある」と肯定文でなければならない。
 「〜でないことがあるだろうか、いや、ある」という表現は、確かに間違いやすいだろう。でも、日本語的には「〜でないことがあるだろうか」という表現は「〜でないだろうか」という表現と等値である。したがって、「〜でないだろうか」という表現の返しなら「いや、ある」とつながるのは理解されやすいだろう。
 生徒は別のクラスで2回も同じ間違いをしてくれた。いやぁ、これ幸いと、日本語論理学について熱弁をふるいました。明日の2組ではどうかなぁ。