かるた大会練習進行中

 2組での授業。だが、このクラスもかるた大会の練習を行う。まだまだテストの採点が終わっていないため、しばらくこのままだなぁ。
 それぞれのクラスはそれぞれの表情を見せる。そして、こうしたかるた大会の練習なぞをしていると、普段の教室とは全く違った表情を見せる生徒がいる。そうすると、授業というものは生徒のごく1方面のみを見ているものなのだなぁ、と気づく。生徒の表情はもっともっと種種多様なのだ。当然だろう。自分だってそうだもの。学校にいる時だけが私ではない。家庭にいる時の私、集会にいる時の私、そもそも教務室にいる時の私。いろいろな私がいる。そして、それが全て「私」である。生徒もしかり。教室の授業を受けている時だけが彼らの全てではない。
 であるならば、もっと多様な姿を授業で現させたいものだ。そして、それをさまざまな評価したいものだ。テストの成績だけで評価するなど、愚の骨頂である。人間を見ていることにならない。瞬間風速だけを観測して、疾風怒濤の台風の何が分かるというのだろう。