ノッている教室とノリの悪い教室

 3組での授業。「ものとことば」の、昨日後2ページを残すところで終わってしまった、その続きからスタートする。極めて据わりの悪いスタートだ。終盤のまとめにかけて一気に行こうとする、その直前でチャイムが鳴ってしまったのが昨日だった。その続きからだから、まずは坂道を上ろうとする、その地ならしをもう一度行い、その上でエンジンをかけて一気に登り切る、そんな感じになる。
 しかし、3組はノリの良いクラスである。普通なら今日のような展開をしたら一気にしぼんでいってしまうところだが、このクラスは私の必死の操作にちゃんとついてくる。少なくとも私にはそう感じさせてくれる。そして、重要な部分にはちゃんと反応するし、しっかり話も聞いている。いや、たいしたクラスである。担任は「うるさいクラス」と評していたが、こういうノリの良いクラスは現代文の授業にとっては理想的である。
 しかし面白いもので、「ものとことば」が終わり、次の「時間の自由」にはいるためにKWLのワークシートを使って「時間」についての既有知識を確認させた。生徒に答えさせたところ、以下のような発言があった。

  • 時差がある。
  • 1日は24時間である。
  • 時間の速さは変わらない。

 それに比べて、昨日の6組は「楽しい時は速く過ぎるが、つまらない時は遅く過ぎる」などと発言してくれた。3組での発言は時間の客観的な面について多く出てきたが、6組では主観的な面が出てきた。こうした発問での解答の深さは6組の方があるのだよね。
 まあ、たまたまの結果なのかもしれないが。