「虚ろなまなざし」の授業

 1組での授業。後半部分に入る。最初に10数分ほどの時間をとって生徒にプリントの問題を解かせ、次にiPhoneの乱数発生アプリを使って無作為に生徒を指名して行く。そして解答を確認しながら後半部分をまとめていった。生徒が解くべき問題を絞ったことが功を奏したか、何とか時間内に最後まで行くことができた。
 しかし、実はこの時間で中心に考えていた課題は結局何もできなかった。それは、この文章に示されているように、人間が意味の欠如しているまなざしに耐えることができないのはなぜか、という問題である。それの答えとしては、人間は本質的に意味の欠如しているものに耐えられないのであり、自分の周囲のものとどうしても意味付けをしていかなければならないのだ、ということである。その答えを生徒に求めるのではなく、人間の本質がそうだとした場合、どんなことを生徒が考えるか、感じるのかということを生徒に問いたいと思ったのだ。そのため、これは格好のリーダー・レスポンスの題材になる。久しぶりのリーダー・レスポンスの出番だと喜んでいたのだ。このように、人間が意味付けをせずにはいられない存在であることをさらに説明するために、福岡伸一氏の本の中からの一節を抜いてプリントを作った。万全の準備を整えて臨んだ授業だったのだ。予定していたここまで行けなかったのは、残念だったなあ。
 次の時間は、できなかったこの課題をさせて、その後は最後の教材に入る。持ち込み教材の「利休の死」である。井上靖の小説を、最後は読もうというわけだ。