大鏡「堀河殿、最後の参内」の授業

 2組での授業。これは昨日の4組でのものと同じ内容である。そこで、これを公開授業とすることにした。資料を作り(といっても教科書本文のコピーと配布プリントを増し刷りしただけだが)、もう一度しっかりと内容を確認しておいて、この授業に臨んだ。
 まあ、アナウンスが昨日急にだったせいだろうか、残念ながら来てくださった方は同じ国語科の同僚4名のみだった。まあ、立ち見なぞ期待してはいないが、もう少し来て欲しかったなぁ。それというのも、昨日の授業でもそうだが、生徒たちの動きがとてもよかったからだ。
 プリントを配布して今日の授業の到達目標を設定する。このプリントを自力で解答することである。時間は15分間。友人同士で教え合って、自由に問題を解決すること。あとで無作為に指名して黒板に書いてもらう、という条件設定をして生徒にやらせた。このクラスは動きがおとなしく、昨日の4組に比べてあまり生徒が動かない。まあそれでも、生徒たちが問題を解決してくれれば何の問題もない。実は、この授業での一番重要な部分はこの時間である。生徒が自分たちの力で、自主的に学び合い、教え合って、問題を解決するのだ。その後からの解説は彼らが自分で努力した成果を確認するだけに過ぎない。生徒たちの会話を聞いていれば一目瞭然。この15分の間、この教材についてのこと以外の話をしていた者はほとんどいなかった。それだけ彼らは自らの課題に集中していた。この集中している姿をこそ、多くの同僚たちに見てもらいたかった。
 その後は、生徒を無作為に指名し、板書させる。そして、おかしな部分を他の生徒に確認しながら修正していく。さらに、当時の官位のこと、登場人物たちが兼通によってどのような官職に変えさせられたのか、それがどのような意味を持つのかを確認していく。もうこれは大変な降格人事である。副総理が○○庁長官に格下げされたようなものだ。
 それに対しての世継(=人々)の意識とこれを語る若侍の意識の差について確認する。これは世間の人々が思っている事件の評価への裏話を語るものだ。こうしたことを理解させることで、この文章をこれから読み進めていくことへの興味・関心を高めることができる、と思っている。
 さて、来週から訳出していく。どうなるやら。