「責任と赦し」の授業

 今日は他の同僚からの依頼を受けて授業を引き受けたので、4コマの授業となった。しかもLHRもあり、昼休み中には学年会がありと、忙しい1日だった。追いかけるように放課後は生徒を呼んだり、生徒からの進路相談に乗ったりしたので、全てが終わったのは18時15分くらいだった。いやはや、目が回るような1日だった。
 そんな中、9組と1組での授業。今日から新しい文章を読む。大澤真幸の「責任と赦し」という文章である。大澤真幸は夏の講習で使ったテキストにも「恋愛の不可能性について」が載っており、そこで扱った。逆説を用いた、なかなか魅力的な展開の文章だった。この「責任と赦し」も逆説を中心に論が展開する。これは、この文章の論理展開を生徒にしっかり追わせたい、考えさせたいと思った。
 そこで、久しぶりに学び合いの形態の授業を行う。6月頃に「自然の抑止力」という評論で行ったように、生徒を4人のグループにして、そのグループ内でお互いの読みを紹介しながら各形式段落の内容を付箋に書き出し、その付箋を紙に貼って論理展開図を作成しよう、というものである。それを使って、今回はグループで要約文を書くのではなく、一人一人が要約文を書くことにした。要約文は全員で考えるようにしたかった。また、前回、グループで要約文を書かせたとき、どうしても書いている一人が文章を書き、他のメンバーはそれを見ているだけ、という様子があったからだ。その要約文をグループで推敲して欲しかったのだけれどね。
 さて、今回はその付箋を使ったグループでの論理展開図作成に少し工夫を加えた。生徒には付箋紙のブロックをグループに1つずつ与えていたのだが、そこに赤い付箋紙を1枚だけ与えた。そして、その赤い付箋紙に「文章の中で最も重要な段落の内容をまとめるように」という指示を出した。つまり、文章の中心となる主張を、色を変えた付箋に書き出して目立たせようとしたのである。
 9組の生徒は開始直後から活発な話し合いが起こった。文章を丹念に読んで、各段落の内容を付箋に書き出し、どこが一番大事な段落かを話し合っていた。彼らの作った論理展開図を見てみたが、15段落あるその全部を付箋紙に書き出し、その付箋紙をきれいに整列させて並べ、付箋紙同士を線でつないでいた。付箋紙を同内容ごとにグループ化するという発想はなかなかなかったようだ。KJ法をやったことがないのかな。高校3年間の間に何度かやらせるべきだったね。そうすればグループ化という発想がすぐ浮かぶはずだが。あるいは付箋を貼らせた台紙がB4の用紙だったので、自由に展開させることができなかったのかも知れない。
 1組の生徒は2度目の授業形態なのだが、今回は話し合いがあまり活発ではなかった。前回はグループの組み方を自由にさせたが、今回はグループは近くにいる者同士で組ませた。そのせいか、あるいは要約文を個人で書くことにさせたせいか、基本的に話し合いはしているのだが、あまり活発な印象は受けなかった。また、文章の性格もじっくり読み込ませるものであったのかも知れない。
 久しぶりにこうした授業を行って楽しかった。準備と後からのまとめが大変だが。