「マルジャーナの知恵」の授業

 7組での授業。昨日の8組と同様、ほぼ同じ場所からスタートし、こちらも無事全文を終える。8組よりはもう少し丁寧な説明ができたようだ。時間がぎりぎりまでかかったからね。
 しかし、現代文という授業は、特に評論の授業は何を目的にしているのだろう。文章の構成を理解させ、要約を把握したら、その後は本来は自分なりの意見を述べる、ということが学習の内容になるべきだ。ところが、実際の授業では共通問題のテストの対策のために、また教科書の脚問があるために、細かい表現の意味合いの確認をしなければならない。そういう強迫観念にかられる。あるいは評論の授業という文化に縛られているだけなのかもしれないけれど、何か本来なすべきこととは違うことをやらされているような気がしてならない。これは、これからの研究テーマになりそうだな。その点、小説の授業はある程度見通しがつく。小説は授業の結論が拡散してもいいからね。むしろ、拡散すべきだと思っている。
 さて、その小説をこれからは扱うことになる。太宰治の『富嶽百景』である。この小説を、なんとかレポート形式の授業にできないかなぁ。もちろん教師からの説明はするけれど、2000字くらいのレポートを書くことをゴールとした授業が設計できないだろうか。後半隊がスキーに行っている間に、ちょっと考えてみよう。