テスト返却&「無常ということ」の授業

 1組での授業。まずは今朝の4時までかかって採点していたテストを返却する。もはや頭が朦朧となっている状態での採点のせいか、ミスをしてしまった。やはりちゃんとした睡眠時間は人間にとって必須である。様々な方面に嫌な思いをさせてしまう。人間の頭脳は肉体という器の中にあるのだ、ということを改めて考えさせられる。
 さて、テストを返却し終えた後、評論「無常ということ」に入る。これは小林秀雄の文章だ。いやぁ、久しぶりだねぇ、小林秀雄の文章を国語の教科書に見るのは。筑摩書房はなかなかすごい選球眼である。そして、それをまた扱おうとする我々(私だが)の目も……、何考えているんだろう? しかし、最近はこうした文章もリバイバルしているので、まあいいかな。
 相変わらず難解な文章である。これが評論の典型のように言われる、日本の国語教育界はおかしいと思う。「評論」というジャンルがいかに本来の評論ではなく、ほとんど随筆に近いことがよく分かる。きわめて感性豊かな文章である。もちろん名文だろう。しかし、内容を分かりやすく伝えようとする意識は皆無である。徹底的に行間を読み、前後の倫理から省略されている論理を補っていかなければならない。まったく、日本の名評論といわれる教材はどうしてこうも分かりにくいんだろうか。
 というわけで、この教材はまず要約をという評論読解のパターンが使用できない。そもそも文章の意味内容が難解だからだ。そこで、まずは冒頭の「一言芳談抄」を口語訳させることにした。この引用された文章も難解である。
 今日はここまで。次回、どのように授業を進めようか。