「舞姫」の朗読・初発の感想

 「舞姫」の読解の授業にいよいよ本格的に入る。まずは本文全文の朗読を行う。全文の朗読をしても効果が薄いことは分かっている。生徒の集中力が切れてしまうのは目に見えている。事実、朗読している最中に居眠りしているらしい生徒の姿が見受けられた。それでも、まずは作品全体をそのままの形で丸ごと受けとめるのは大切なことであるという信念の下に、全文の朗読をした。2つのクラスとも4分の1くらいは前回の授業で朗読を終えているので、今日はその残りの朗読から始めた。しかし、生徒に朗読させたのでは時間がかかりすぎる。そこで、私が残り全部を朗読した。いやはや、体力を消耗した。今日は1限と2限に現代文が連続して入っていて、そのどちらでも私が朗読した。どちらも授業時間の大半を朗読に費やした。2回目の終わりには、もう喉が痛くなり始めてきた。それでも、少なくとも朗読していた本人は良い気持ちになれる。さすがに文語文のキレの良い文体は朗読していて楽しい。
 その後でこれからの話し合いの授業の予定を説明し、次にあらすじをまとめさせる。作品全体を6段落に分け、それらについて穴埋め式であらすじをまとめさせるプリントを用意し、やらせた。与えた時間が十分でなかったので、生徒は苦労したようだ。まあ、ともかくも今日は「舞姫」という作品の全体像を大雑把にでもつかんでもらうことが最大の目的なので、それはおそらく果たすことができただろう。
 続いて初発の感想文を書かせる。ただし、これに当てる時間はもはや残っていなかったので、用紙だけを渡して家庭学習にさせる。
 さて、明日から3時間連続して話し合いによる読解の授業を行う。今回は「ミニ・レッスン」→「話し合い」→「振り返り」の3部構成の授業を行おうと考えている。このミニ・レッスンで扱う方法をいかに自分たちの話し合いの中で使うことができるかが、この授業の肝である。さてはて、どうなることやら。
 古典のクラスでは「蜻蛉日記」に入った。藤原道綱母の置かれた状況を理解するのに一苦労する作品である。しかし、これを理解できないと解釈すらまともにできない。何しろ敬語が1箇所しかないのだ。この文章を理解するには当時の時代背景と結婚形態を理解しなければならないものである。その点について、じっくりと説明する。
 放課後は書道部の卒業アルバム用の写真撮影である。彼らは少々真面目な感じで映っていた。もう少し羽目を外しても良いのにね。