弓道部の存在はありがたい

 8組での授業。「木曾の最期」の兼平の獅子奮闘の場面である。
 兼平は8本の矢を射て、8人の敵を射倒す。それがいかに難しいかを説明する。日本の弓矢は当たりにくい。西洋のアーチェリーは的に同心円が描いてあり、その中心にいかに近づけるかを競う。しかし日本の弓道では、的に同心円は描いてあるものの、的に当たりさえすればよい。それは、日本の弓がいかに当たりにくいかを物語るものである。
 これは弓道部の顧問をしていた方から聞いたことだ。日本の弓はアーチェリーの弓のように矢をつがえる箇所に切り欠きやら穴やらがない。アーチェリーは切り欠きや穴の存在により、矢を真っ直ぐ的に向ければその方向に飛んでいく。しかし日本の弓はそうしたものがないため、矢をつがえると弓の幅の分だけ矢が斜めに向くことになる。その状態で的に向けて射ても、あっちの方向に飛んでいくだけである。したがって、日本の弓においては、弓を持つ手の手首を少しひねって、矢が的に真っ直ぐ向くよう調整するのだそうである。だが、そのひねり方は全くの「加減」である。デジタルで指定できない。これは体感しなければならない。よって、矢を的に当てるのは至難の業なのだ。
 それを兼平は百発百中の精度を誇る。当時の武士たちの弓の技量は想像を絶する。そもそも那須与一の話もあるしね。
 しかし、これらの兼平の大奮闘も、主君の義仲に自害をさせるために、敵を自分に引きつけ、時間稼ぎをするための行動である。その努力が報われないのは、ある意味悲しいことなのか、でも精一杯やったことに悔いはないのか。味わいたいところだ。