昨日、新潟『学び合い』研究会終了!

 新潟『学び合い』研究会が無事終わりました。参加してくださった方々、コメントをくださった方々、また、この機会を与えてくださった水落先生に深く感謝いたします。
 私は以下のような内容で発表した。

  1. 私自身の『学び合い』へのスタンス
  2. 実践例1:『舞姫』の悪因ランキング! の授業
  3. 実践例2:評論の要旨文作成の授業
  4. 実践例3:評論の読解ショッピングの授業

 どれもこのblogで紹介したものばかりである。1番目の『学び合い』へのスタンスは昨年の夏に参加した教室『学び合い』フォーラムの時に得た感触が元になっている。
 さて、今回はこのblogで紹介したものについて、授業の実体がより分かるような形で発表した。要は写真をたくさん示したのだ。今回の授業では写真は撮ったが、ビデオ映像は撮らなかった。今にして思えば失敗したなぁ、と思う。私自身、授業中の生徒の様子を観察していると、生徒の動きがダイナミックに変化していくのがよく分かる。さまざまなグループによるさまざまなアプローチの仕方が見えていたり、停滞していたグループが大きく動き出したり、私自身思いもよらなかった動きが生徒の中から起こってきたりしていた。そうしたものは写真を撮っていてよく気づいたのだが、さらにこれが動画として残っていれば、より具体的な分析ができただろうにと思う。うーん、惜しいことをした。
 今回の発表で私が期待し、同時に危惧していたのは、これらの内容が『学び合い』にずっと取り組んでいる方たちにどのように受け止められるか、ということだった。私自身は、私のこれらの実践も『学び合い』の精神が生きているものだ、と考えている。しかし、明らかに『学び合い』の正統的手法は採っていないので、これらの実践がどう受け止められるか、期待と危惧があった。特に今回の研究会には『学び合い』のリーダーたる西川純先生も参加されていた。西川先生に、私の実践はどのように受け止めてもらえるか、実は発表前に緊張していたのだ。
 終わってみて、皆さんから大変好意的に受け止めていただいて、非常にありがたく、嬉しかった。特に西川先生からはコメントまでもいただいた。こんなダイナミックな生徒の動きがあるのなら、それが最初から分かるようにblogでも発表して欲しい、とのことだった。確かに私は授業の内容や授業の進め方について詳しく説明するように努めてきたが、その授業がどのようになったかということも分かりやすく示す必要があるのだな、と気づかされた。ただ、写真を多用すると生徒が特定できそうで怖いところがあるけれど。さらに、発表を終えた後に挨拶に行くと、「面白かった!」と言ってくださった。ありがたいことである。こういうところがたくさんの人々を惹き付けるところなのだろうなぁ。
 他にも数人の方から質問やコメントをいただいた。それらは私自身の気づかなかったところを指摘してくださったり、私の実践のさらに必要な点を教えてくださったりしてありがたいものだった。特に「評価」の観点は貴重なものになりそうだ。
 ということで、どうやら私の実践も『学び合い』という文脈の中で受け入れてもらえるものであるようだ、ということが分かった。これが、今回の発表で得た一番のことだ。これに力を得て、さらに生徒が自身の力で学びを進めていく授業の開発を目指していこう。
 そして、私自身の実践を何らかの形できちんと残しておきたいものだ。論文などの形がいいのだが、実践記録では論文にならないだろうなぁ。