飲みニュケーションの効果?

 今年はいろいろなことが型破りである。今日は1・2・3学年とも夜の結団式を行うことになった。つまりは飲み会である。例年は、各学年がそれぞれに日程を調整して行っていたが、今年は統一実施日を決めたのだ。会議・会議の連続の後、飲み会かよ、とこれだけは強く反対していた。
 私はクリスチャンである。世の一般の信者はどうか知らないが、私はクリスチャンであるが故に、酒は飲まない。飲んだことがない。よって、飲み会というものが私は嫌いだ。行っても何の足しにもならない。人々はアルコールのせいか陽気になり、あれやこれやと話をしている。私はそうした仲間になかなか加われない。ひたすら食事をし、ひたすらソフトドリンクをあおり、時間をつぶしてくるだけだ。飲みニュケーションなどというものの効果を私は信じない。そもそも、飲み会でなければ本音を語れないなんて、おかしなコミュニケーションだと思っている。
 そのせいもあり、今日の結団式への参加は正直気が重かった。飲み会への抵抗感もさることながら、ずっと意識している旧年度への惜別、新年度への拒絶感などがまだ整理しきれず、そんな気持ちのなかでさらに負荷をかけるのはたまったものではない、と思っていた。実際に参加してみて、実に思った通りだったのだが、それでも良かったこともある。新任者の方と初めて本格的に話をし、そしてその方々がこんな風な人なのだ、と多少は理解することができたからだ。もちろん、こんな程度のコミュニケーションは普段の会話でも時間をかければ十分に得ることができる。それでも、今日の飲み会を通して、時間をかけずに、半ば強制的に、相手を理解することができた。これは、「効果」と言っても良いのかな。
 京都橘大学の池田先生は、研修会の後の懇親会の効果を強調される。研修会に出席して、その後の懇親会を欠席するのは、せっかくの研修会のせいかを半減以下にさせることだ、と言っておられる。理解はできるものの、私には難しいなぁ、と思っていた。今日の飲み会は、そうした意味合いではないものの、その効能を少しは感じられたかもしれない。