朝の読書についての話し合い



 今日は同僚と一緒に「朝の読書」についての話し合いを行った。学年単位であるが、朝読書を新年度から実施しようとしているのである。しかし、それに対する心配の声も各方面から上がっている。そこで、もう一度朝読書について見つめ直し、そのメリットとデメリットを比較検討した上で、どんな心配事があり、それをどのようにして解決するのかということを、ざっくばらんに話し合う機会を持ちたいと考えた。そこで、本日、この会が催されたわけだ。
 事前に司会者より朝読書についてのメリット・デメリット・心配することをペーパーにまとめて私の所に提出するようにしてあった。私にそのとりまとめが任されたわけだ。しかし、わたくしは単に参加者から寄せられた文言を箇条書きのようにしてまとめるのは嫌だった。それでは会議の参加者からより自由な意見があまり出てこないだろう、と思われたからだ。そこで、上掲のように寄せられた意見のコンセプトのみを模造紙にまとめ、会議ではそれを見ながら、さらに意見をいただき、それを周辺にどんどん書き込んでいく、という手法を使った。こうすることにより、議論を「見える」化して、実現に向けて何が必要なのかを明らかにしたかった。そもそも参加者の理解をなるべく共通なものにしたかった。そして、あわよくば、参加者がより自分を開示し、お互いの考えを理解できるようにしたかったのだ。
 会議ではだいぶ意見が出てきたと思う。そもそもメリットは分かりきっていることだし、デメリットがあまりないことも見て取れる。そしてやはり心配する気持ちが大きいことも、図を見ることでよく分かる。そこで、心配事の方を中心に意見を募り、同時に解決策のたたき台を私の方から出したりした。そうしたら、参加者から別の意見が出てきたり、少々後退した私の案に対して、多少積極案の方に揺り戻してくれる意見が出たりして、とても良い方向性が見えてきた。結果として、ある一定の共通理解を得ることができた。それは、当初の理想的な案からはだいぶ後退しているが、これだけの不安視する意見がある中では妥当な方策だろう。
 やはり、議論を「見える」化することは大切である。何より、参加者の納得、安心感を得ることができる。議論がどこへ向かっているのかが分からなくなると、非常に不安なものだが、今回の方法でその点はだいぶ解消できたように思う。
 さて、今日の話し合いをもとに、朝読書について計画を大幅に修正しなければならない。これまた大きな仕事である。