中学生の姿から高校教育の課題を想う

 今日は公立高校の推薦入試が行われた。本校でももちろん、朝早くから中学生たちが集まってきた。
 そうした中学生たちを見て毎回思うけれど、やはり中学生は幼いのだなぁ、ということだ。いや、精神とか学力とかではなく、顔つき、体つきが、ということだ。当たり前だけれどね。特に毎日3年生を見ている目には、この時期の3年間の違いというのは大きいのだなぁ、と思う。初々しくて、とてもよい。
 逆に考えれば、高校3年間の中で、まさに彼らは人間的に激動の成長を遂げるのだろう。肉体的にはもちろんだ。でも、体型が激変する者は今の生徒にはあまりいなかったな。つまりは精神的に、何より人間的に、大きく彼らは成長する。高校3年間とは、まさにその「人間としての成長」をする時期なのだろう。
 シュタイナーは14歳からの7年間は知性が成長する時期だ、と考えた。その前の7歳から14歳までは感情が成長する。よってこの時期に、シュタイナー教育では芸術を根幹に置いた教育を行う。そして14歳から21歳までは知性の成長する時期である。この段階に来てようやく、知識を教えていくわけだ。
 日本の教育ではとうていそんな発達段階の考え方はしないので、早くから論理的思考力ばかりを鍛えさせられる。その反面、適切なアウトプットがないので、結局論理的思考力は育っていない。文章を読み取り、正答を探る能力は突出していても、茫洋とした現代社会の中から問題とすべき事象を見つけ出し、それへの適切は思いを抱く、という必須な思考ができない。
 だからこそ、高校での教育は手探り状態になるのだね。知性が発達する段階にありながら、その知性がいびつな形で発達している者に、どのようにそれを適切な方向性へ導いていくか、非常に難しい問題だ。