前期期末考査3日目

 今日は古典、英語II、地歴のテストが行われた。
 古典のテストであった。今回はなるべく選択肢問題を増やしたつもりである。前回は書かせる問題が少々多すぎたので、その反省に立ったことと、何しろ採点の時間が余りとれそうにないので、書かせる問題はあまり出題できないのだ。
 私は古典は理系クラスに出ている。彼らはやはり古典を苦手としている。文法を授業中に確認しても、正確な答えがすぐに返ってくることはあまり多くない。テストでもそれははっきり表れていて、まだまだ文法の知識がしっかりと定着していないことが分かる。
 文法はある意味、数学の公式と同じであると思う。数学の公式はそれを使うことにより、一見難しそうな問題の解き方の糸口がつき、問題の解決に向かうことができる。古典における文法も、現代語にはない訳の分からない言い回しを解釈する糸口となり、その部分をすっきりと解釈できることになる。その文法の中でも特に重要なのが助動詞である。古典は助動詞をマスターできればかなりの程度理解が進むと断言して良い。その助動詞を覚えることは、数学の公式の数より少ないのじゃないのかなぁ。そして、その公式である文法を駆使して、訳の分からない文章を解析していくのは、言ってみれば数学の難問を解いていくのにも似た、非常に理系的な頭の使い方をする行為である。私は、古典は理系向きだと思っている。少なくとも古典解釈に必要なのは、論理的思考力である。
 それじゃあ、「文系」的なものは何か、徒考えてみると、そもそも学問体系を「文系」と「理系」に分けるというのがナンセンスである。一般に文系科目と言われている古典でさえも、必要なのは論理的思考力である。現代文もしかり。我々国語科は、現代文の文章や古典作品の文章を用いて、生徒の論理的思考力を日々鍛えている、とも言える。であれば、文系・理系という区別は何の意味があるのだろうか。あるのは単なる苦手意識に過ぎないのではないか。古典が苦手とか、数学が苦手とかね。
 本当に、文理分けというのは、少なくとも高校段階ではやめて欲しい。文系の生徒が数学の面白さから離れてしまうのはきわめてもったいない。また、理系の生徒が古典の面白さを学ぶ機会を高校段階で終えてしまうのは、はなはだもったいない。高校段階では、最後までどの科目もある程度までは全員に学ばせるべきである。つまり、一般教養を全ての生徒に与えるべきである。数学や理科、地歴、古典などは学ぶ内容を段階化し、苦手な者は高度な段階まで学ばなくても良いようにすればよい。しかし、必修科目として全員がどの科目も学ぶようにしたらいい。
 ちなみに、私が高校生だった時、文理選択は2年生の終わりであった。私はその時、それまでずっと理系志望だったのが、ひょんなことから文系志望となり、現在に至っている。私は苦手科目というのがほとんどなかったからね。どちらも選べたのだ。今から考えると、そのまま理系を選択していたら良かったなと思うこともある。いや、国語も非常に面白いのですけれどね。少なくとも文理選択は3年生からにして、2年生までは全員が同じ科目を学ぶようにすべきではないだろうか。大学入試のことばかり目を向けるのはいい加減やめたいものだ。