大人論つながりの本を購入

考えあう技術 (ちくま新書)

考えあう技術 (ちくま新書)

 昨日書いた、今読んでいる本。苅谷剛彦西研の対談本である。教育社会学者と哲学者のコラボが、教育というものを他の言説に頼らずに根源から考え、そこから何が見えてくるか大変興味深い議論が展開されている。
 もう、この本にはマーカーでガンガン線を引いているし、ページの端を折った箇所は数え切れない。読み終えた後、もう一度しっかりと確認すべき本だ。

教育の世紀―学び、教える思想 (シリーズ生きる思想)

教育の世紀―学び、教える思想 (シリーズ生きる思想)

 苅谷剛彦の発言の中にも触れられていた本である。上記の本の主張は、「人は自由な生き方をすべきである」という人間の生きる目的を根源に考えている。そして、自由に生きるとは他人が自由に生きることを妨げない責任を負うことである。それができる人が「大人」である。そこで教育は、真の意味で「自由に」生きる人間を育てるためにどのようなことが必要か、ということを論じている。
 そうすると、教育と自由という問題がクローズアップされてくる。苅谷剛彦氏のこの本は、そのテーマを追求した本のようである。そこで購入してみた。これまた読むのが楽しみだ。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 今、話題の本である。『考えあう技術』には、「追体験」の授業の必要が説かれている。
 現在の日本は自由な社会を満喫している。子どもたちはこの自由を所与のものとして受け止め、それが獲得されてきたものであることを知らない。そのため、自らの自由な意志により、その自由に生きる権利を放棄することを主張する政策や政党に賛同することさえできる。
 そこで、例えば自由な社会が歴史的にどのようにして獲得されてきたかを、子どもたちに追体験させる授業が必要だと苅谷剛彦氏は述べている。これは高校段階なら十分可能だと。自由が奪われた社会を想像し、そこでどのような不都合が生じるかを考える。そして、歴史がたどってきたその時その時の選択肢を検討し、どちらを選び、どう考えていくべきかを追体験させるのだという。そうすれば、自分自身の自由な意志で、自由な社会を守る人間が育ってゆくだろうと。
 この本は、まさにその授業の典型例になるのではないだろうか。日本が戦争という選択肢を選んできた、その過程を生徒に追体験させ、その当時の為政者たちの選択を考えさせる内容のようである。「追体験」授業の典型例として、興味深い。
 なお、『考えあう技術』には「追体験」のできる教科として、国語も挙げられている。具体例は示されなかったが……。国語でどんな追体験授業ができるだろうか?