大人論の基本図書?

 今、『考えあう技術』というちくま新書を読んでいる。題名とは裏腹の、学校教育の本質を考える非常に良い本だ。2年ほど前に購入し、少し読みかけたのだが、そのままずっと私の机下の棚に放り込んであったものだ。しかし、ふと手をかけて読んでみると、これが今の私の関心を非常に呼び起こす、大変な本である。京都橘大学の池田さんが唱えている「大人とは何か」という大人論に、そのままストレートに通じる本だ。
 この大人論は、池田さんから少し話を聞いた時以来、ずっと私の頭にあったものだ。現状の大人の実態を調査するということではなく、「大人」の定義を考える、というものである。20歳になったら大人であるとはとうてい思えない。私は20歳になった時、自分が成人したということに対して激しい違和感を覚えた。年齢と「大人」とは決して一致しない。では、「大人」とはどういう者か。どのような状態になったら「大人」と言えるのか。いや、「大人」とはどういう者か、つまりは「大人」の定義を考えるということなのだ。
 このことは、実は重大な意味を持っている。「大人」が定義できたのなら、教育はその「大人」に子どもたちを成長させるための行為である。つまり、「大人」とは何かについて考えることは、そのまま教育は何を目的としているのかを考えることになる。また、そのような「大人」に子どもたちを成長させるために、どのような教育方法があり得るのかについても考える必要がある。つまりは、「大人」とは何かを考えることは、教育の目的と方法を考える際の目標となるものなのだ。
 その「大人」の定義において、この『考えあう技術』という本は基本図書になりそうな内容を持っている。教育は何を目的とすべきなのか、根本から考えている。
 つい、著者の一人である苅谷剛彦氏の『教育の世紀』という本も入手した。これまた同様の内容を扱っているはずだ。これらの本を読むことで、「大人論」について考えてみたい。