「責任と赦し」の授業

 1組での授業。試験前最後である。この1時間でほぼ半分の部分を説明しなければならない。しかし、この文章を掲載するにあたって、教科書編集者(筑摩書房)は2つの写真を載せている。同時多発テロでワールドトレードセンターにハイジャックされた旅客機が突っ込み炎上しているものと、「アフガンの少女」と題された、生徒たちと同世代なのにところどころ破れた外套をまとってカメラを見つめている少女の写真である。この2つの写真の意味するところは何か、教科書編集者はどんな意図を持ってこの2つの写真を掲載したのか。これ自体を考えさせるのもおもしろいと思う。しかし、時間がなかったし、生徒には二者択一の中から自分の立場を選んで欲しいと思ったので、この写真の意図を解説して、久しぶりにリーダーレスポンスを行った。

「この2枚の写真は、同時多発テロという事件に対する、アメリカ側の見方と、アフガニスタン側の見方の二つの面を示している。同時多発テロという悲惨な事件が起こったが、そのためにアメリカが起こした戦争の結果、この『アフガンの少女』が生まれたとも言える。同時多発テロは3,000人もの犠牲者を出した卑劣、悲惨な事件である。だが同時に、その報復としてアメリカが起こした戦争のために、君たちと同世代のアフガニスタンの少女が学校へも行けず、華やかな服も着ることができず、ぼろをまとっていなければならない。
 さて、君たちはどちらの立場を擁護するか? アメリカか、アフガニスタンか? どちらかを選び、その理由を書いてください。」

 これが、今回のリーダー・レスポンスのお題である。与えた時間は5分間。その間に生徒たちに自分の意見を書いてもらった。
 提出させたノートを少し読んだが、大勢はアフガニスタン側を擁護する意見であった。与えた時間が5分間だったので、生徒たちが書いてきた理由はまだまだ稚拙なものだった。正直、もっと突っ込んで書いて欲しいとも思った。しかし、何しろ大きすぎる問題である。そうそう軽々に立場を明らかにするのは、逆におかしなことである。私の意図としては、この「責任と赦し」を読んで、「ああ難しかった」「やっと終わったか」という感想を持つだけにはしたくなかった、ということだ。一つの文章を読むことは、その者にある一つの意見を持たせることである。それを表出しないと、その意見は自分自身でも認識し得ない。また、そもそも考えもしないだろう。
 昨日の反省に立って、試験直前の時間の余裕のないところではあったが、生徒の発想力・発信力を少しでも高めるための作業を行わせた。発想力・発信力を高める、そのための方法は、まずはその機会を与えることだろう。
 本文の説明は何とか行った。生徒に発問して、本文に書いてある同様の表現の箇所を探させて、そこに書いてある説明を確認させながら、その本文の説明(=筆者自身の説明)を用いながら説明していった。ただ、この文章は他の一般的知識を導入して理解すべき部分が多いので、その部分はさまざまに補いながら説明した。
 さて、生徒は分かってくれたかな?