「責任と赦し」の授業

 9組での授業。このクラスは要約文の作成をまだ終えていない。しかし、これまた試験が近いということで、内容読解に入る。先日1組で行ったのと同じ内容である。
 生徒に提示した問題で、「『○○○……という書き換え』とある「書き換え」を本文の別の2字の熟語で置き換えてみよう」というものについて、生徒の解答はこのクラスでもすぐには定まらなかった。そこで、こうした場合の考え方について解説した。

  1. 『○○○……』の部分と同じ、または類似する表現を本文から探す。
  2. その『○○○……』につながっている2字の熟語を確認する。
  3. それこそが「筆者自身が言い換えている」言葉である。

 これは、「本文に何と書いてあると『自分』は考えるか」という考え方から、「本文に何と書いてあると『筆者』は言っているか」という考え方に切り替えるための重要なポイントである。現代文における問いのほとんどは、「読んでいる自分はどう思うか」ではなく「筆者はどう書いているか」を探す作業を求められている。あと必要なのは、それらの要素を一つの意味の通る文へとまとめていく「要約力」である。
 したがって、現代文の力をつけるのはキーワードを探索する訓練と要約する訓練であると言える。実際、身も蓋もないことだが、ここ数年で現代文を教えることを考え続けてきた実感である。
 しかしこれは社会に出て行った先でも必要となる力だと思う。素早い情報探索能力と要約力は「他人の話を正確に理解する」ために必要な能力だろう。
 ただ、これだけを行っていては、発想力・発信力は育たない。「自分の意見を紡ぎ出し、新たな情報を作る」ためには別の訓練・指導法が必要だということも分かる。
 現代文の授業はこの両輪が必要なのだな。