特別伝道集会最終日

 今日は、木曜日から続いていた特別伝道集会の4日目、最終日である。今日は1日集会に出席して、幸いな時を過ごす。一部、家族の中に具合の悪いものがおり、その関係で子どもを家に送ったりしたが、1日幸いであった。
 今日はあるクリスチャンのご両親が導かれた。それと、引き続いてクリスチャン・ホームの子どもたち。福音を聞くことができて幸いである。
 今日は、神様がいるということを意識するかしないかということは、人生に大きな違いを生み出す、ということについていろいろにお話ししてくださった。相変わらずたとえが秀逸で、また具体的である。
 アメリカにロッキー山脈という高い山々が連なっているところがある。その頂上近くに2つの池があった。その池の場所は互いに近く、数10mしか離れていなかった。しかし、1つの池は東側の斜面に注いでいて、その水はミシシッピー川と合流し、大西洋へと注いでいった。もう1つの池は西側の斜面に注いでいて、その水はコロンビア川と合流し、太平洋へと注いでいった。最初はほんの数10mしか離れていなかったが、あとには数100kmも遠くに離れてしまったのだ。このように、神様の存在を認める人生と認めない人生とは、初めはほんの小さな違いにしか見えないが、その終わりには大変に大きな違いとなってしまう。このようなたとえを用いて、神様の存在を認めることの重要性を語り始められた。
 そして、ご自分の自宅近くで見つけたと言って、ある虫の写真のコピーを皆さんに配られた。うーん、集会中に写真のコピー(インクジェットプリンタで印刷したものだったが)を配るというのも初めて見たな。そこには、枯れ葉の姿を身にまとった蛾の写真であった。これを使って、この蛾が枯れ葉のまねをするのには3つの知性が必要だという。

  1. 自分の周囲の状況と自分のもっているものを判断すること(周りは林で、自分には大きな羽があり、枯れ葉のまねをするのが適当だということ)
  2. 枯れ葉の様子をよく観察すること
  3. 枯れ葉の形を正確に作り出すデザイン力

 これらのことをあの小さな蛾が自分で考えられるだろうか、それよりは、蛾をあのようにデザインした知性の存在を認めるべきではないか、ということであった。
 こうした話において、進化論者は反論できるだろう。蛾自身が考えたのではなく、環境に適応した形質を獲得したものだけが生き残ったのだと。だが、それでは偶然の積み重なりが、そんなにも高度で知的な存在を生み出せるのだろうか。「エントロピーは増大する」というのがこの地上における物理法則の大原則ではないのか。偶然が重なれば、特異な出来事は平均化されて、なくなってしまうのではないか。というわけで、私は今日話された内容に全面的に賛同する。神様は存在する。それが人間にとってすべてだと思う。
 お話は今日はその後も続いたが、今日のメインのテーマはこのことである。今日もわかりやすく、幸いなメッセージが語られた。4日間の集会の祝福を心から感謝しよう。