教育は信念

 「教育は信念」、そんな思いを新たにする今日この頃である。

 センター演習が続いている。今日も3コマの授業があり、全て、評論と小説の2問題を一気に解かせている。明日から55分授業となり、65分授業は今日が年内は最後で、そして今使っている河合塾の黒本は年内限りの使用だからだ。私は取りかかりが遅れたせいか、他の同僚より進度が遅れている。まあ、どうせ残りは生徒自身にやらせるため、そんなに進度を気にしなくても良いのだけれど、出来れば授業ないで出来るだけ消化しておきたい。その方が生徒のためにもなるのではないかと思うのだ。そこで、現代文の方なのだが、評論と小説を一気に解かせる。当然時間がかかる。やはり45分間は確保せざるを得ない。すると、解説はほとんど出来なくなる。プラスαの問題や解説なども出来なくなる。最近は本文に自分で傍線を引いて、どんなところに着目すべきなのか、ということを示したプリントを作って配るのが精一杯だ。

 他の同僚たちは、生徒を前に出して答えを板書させたり、あるいは基礎の確認となる問題をプリントで配布してやらせたりしているようだ。私も本当はそのようなことをしたかったのだけれど、今のところ不十分だ。現代文の方では漢字練習や語句の意味の練習などをプリントでさせてはいる。しかし、ほとんど解かせる時間がなく、配って終わりのような状態だ。古典の授業では、やはり古文と漢文を一気にやらせるため、それ以上の問題演習が出来なくなっている。
 うーん、センター演習は正直言ってどのようなやればよいのかよく分からない。ほとんど毎日が手探り状態である。センター形式の問題のためには慣れが必要なので、練習あるのみだとも思うのだが、出来ることならそれだけでなく、基礎の再確認もさせるような授業を展開したいと思っていた。そのための教材も入手し、準備もしていた。しかし、演習の回数を稼ぐという現実の前に、全てが不十分である。果たして私のやり方が、生徒の力を伸ばすことに役立っているのだろうか。
 点数自体は、どのクラスもどの問題も30点代をキープし、思ったよりは出来がいいということが分かったのだけれど……。これは冬期講習のやり方も考えたほうがいいなぁ。

 ということで、何となく今のセンター演習の授業では信念を持って授業することが出来ていない私でした。何を心棒にして授業を組み立てるべきなのか、そこを見失いかけている。
 生徒のみなさん、国語のセンター演習の授業について、どのような感想を持っていますか?