「青山祭」近し

 今週末(金曜と土曜日)は青山祭である。ところが、3年生はそこに出展することはなく、お客様として参加するだけである。そのために、今年のこの時期は何と言うこともなく時間が過ぎている。もちろん、模擬試験の結果は次々に返ってくるし、進路志望調査はあるしで、とうていそのようなことに気を回している暇もないのだけれど。
 昨年のこの時期はパニックだったなぁ。昨年の2年1組は準備に取りかかるのが遅くなり、ほとんど青山祭が行われる1週間で準備をした。お化け屋敷をやったのだが、短い準備期間にも関わらず、思ったよりも完成度の高いものができて、クラスは大いに満足したのだ。思えば、このあたりを境にクラスが次第に団結していったような気がする。10月は修学旅行があり、そして青山祭、しばらくするとクラスマッチと、行事が続く。それらを通してクラスが良くまとまっていった。そんな時期だったなぁと思う。
 3年の今のクラスは、青陵祭のあたりから十分に団結していて、それからだいぶ時間のたった今も幸いなことに良い雰囲気を維持している。気持ちがだれてしまったり、おかしな方向に流れることもなく、クラスがなかなか良い雰囲気で勉強に、受験に臨んでいっている。非常によいことだ。私は授業での接点が一番多いのだけれど、その授業でも何となくまろやかな雰囲気が感じられている。なかなか授業がしやすい。
 ふむ、クラスの雰囲気というのは不思議なものだ。ある先生の調査によると、クラスの雰囲気は担任の性格をある程度反映するそうだ。細かく指示を出しすぎる担任のクラスは指示待ちの雰囲気が醸し出され、細かい連絡を忘れがちなクラスは細部への注意が怠りがちになると言う。私のクラスの場合、私の性格の反映と言うよりは、生徒たちの相互作用がうまく働いているのだと思う。私の性格が反映したら、かなり偏ったクラスになってしまうものね。

古典

 「無名抄」が大体終わった。初めての歌論である。口語訳はさほど難しくないが、そこに表現されている思想について、果たして生徒は十分に理解してくれただろうか。
 古典の授業はどうしても口語訳が終われば終わり、という感じになりやすい。しかし、そうではなく、作者の思想なり人物の心情なりが理解されて初めて「古典を読んだ」ということになる。今回の古典評論などはまさしくそのような作品だ。ただ字面が分かれば良いわけではない。文章を通して、俊成の和歌の理想と俊恵の和歌の理想とを明確に理解し、区別できなければならない。
 口語訳は終わったが、それを踏まえて内容をまとめるための何らかの作業が本当は必要だったかな。