疲れの取れない1日

 疲れたー、というのが今日の感想である。というのは朝の1、2限が授業、その後はひたすら小論文の課題を添削していたからだ。

[現代文]村上陽一郎の評論

 6組の2時間目である。今朝の7時頃に授業プリントを作り、出勤後にすぐ印刷して授業に備える。結局そのプリントは使わなかったけれど、まあ良かったかな。
 昨日の作業を引き続きさせ、次に全体の構成区分を考えさせる。その後、用意していたプリントの問題を解かせ、解答を指名した生徒に黒板に書かせて、解説をした。全部終わりきらなかったけれど、黒板に書かせるのは少し目先が変わって良かったかな。でも、時間がかかりすぎる。また、もう少し生徒にやらせる課題を精査しなければならない。まだまだ改良点は多い。

[古典講読]玉鬘の授業

 これまた朝の6時30分頃から予習を始め、何とか授業に臨む。もちろん、もっと前に予習はしていたが、さらに付け加えておいた。それくらいしておかないと臨機応変の対応は出来ない。
 まずは国語便覧で「玉鬘」に至るまでの流れを確認する。次に本文を音読する。そして、登場人物の確認と整理をしていった。この中で間違ったことを教えてしまった。文章の中にちゃんと玉鬘と乳母はいました。4組の皆さん、ごめんなさい。後で訂正しておきますね。

小論文指導

 私の5日間の夏休みの間に、生徒が小論文の課題を提出していった。それまでは持ち込まれるたびに添削していたのだが、私が休んでいる間に6人の生徒が提出をしていき、その課題が机に山積みになっていたのだ。今日は多少時間が出来たので、せっせとこれらの課題に目を通し、ひたすらコメントを付けていった。
 今日は3人分の課題を見た。一人で4つも5つも課題を書いていた生徒がいたので、全部では10近くの課題に目を通しているだろう。やはり時間がかかるものだ。
 3人分ではあるが、総じて課題文に対する社会的な視点、複眼的な視点が足りないと感じさせられた。新聞記事の主張や事件に対してあまりに直接的に考えを書いている。その背景となる事項や社会の動きについて考えが及ばない。そこまで考えないと物事の本当の姿は分からないし、小論文も深まりのあるものが書けない。これまた指導のしがいがあるものだ。