山月記の授業

久しぶりに現代文の授業があった。10日ぶりである。山月記の授業の6時間目である。
第5段の「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」の箇所について補足説明をした。その後で、李徴の悔いの内容を確認し、月に向かってほえることの内容を確認し、それが他のものに理解されない悲しみを確認した。この構図が第3段での構図と似通っていることを指摘し、しかし内容は大きく違うことを確認した。このことをもって、李徴の変化を読み取らせた。
第6段の読解に入る。しかし時間がほとんどなかったので、妻子を頼んだ後の李徴の「慟哭の声」と、第7段での「悲泣の声」の内容の違いについて、生徒それぞれにプリントに書き込ませて、提出させた。
明日、同じこのクラスで授業がある。この授業で山月記を終えることができるだろう。