「永訣の朝」の授業

 3組での授業。グループでの話し合いを基本にした授業の3回目。今日で「永訣の朝」は終わった。
 プリントの解答を3〜5人のグループで検討し合い、私がグループから一人ずつを任意に指名して答えさせる。生徒は自分で考えてもよし、グループの仲間に相談してもよいわけだ。そうして出てきた答えを黒板にメモしつつ、その生徒の答えを用いて詩の内容を説明していく。こうやってプリント全体を説明していった。しかし、よく考えたらこれは教育センターの指導主事時代に教員相手の研修でやっていたことと同じだと思った。指導者は「答えを教える者」ではなく、「ファシリテーター」に徹するのだ。そうすると、生徒の意見がいろいろ出てきて面白くなる。現代文はこうでなくっちゃ。自分の意見が表明できて、それが全体の読解に生かされていくのを目の当たりにすることで満足感もあるだろうし、自分の気づかなかった点をさらに広げられることにもなるだろう。もっとも、教員研修の場合は「答え」がないのだけれどね。
 さて、次は『「である」ことと「する」こと』だ。久しぶりの評論である。2年最後に扱う評論では徹底的に要約をさせようと考えている。記述問題に対応できる力の大半は要約力である。それを少しでも鍛えていきたい。