「山月記」の評価をグループで考える

 5組での授業。「山月記」の評価を、このクラスではグループを組ませて考えさせた。この「読みの交流」によって、どのようなことが行われるのか、またその効果はあるか、などを分析したいと考えている。
 生徒を図書館に来させ、3〜5人のグループを自由に作るよう指示した。そして、最初に「山月記の評価」のプリントを配布し、李徴への批判と弁護について個人でアイデアを出すよう指示した。その後、グループで話し合い、各自のアイデアを紹介して、最終的にグループで李徴への評価をまとめさせた。「山月記」の評価と言うよりも、「李徴」への評価と言った方がよいかな。
 およそ30分間ほど話し合いをさせた。各グループともなかなか熱心に話し合いをしてくれて、評価をまとめることができた。その結論も興味深いが、話し合いの中でどのような読みの交流が行われたのかを分析するのが今回の要である。
 その後で、個人として「李徴」について評価させ、「山月記」への評価をさせて、授業を終了した。
 続く3組では評論に入った。鷲田清一の「間が取れない」という評論である。人間同士の間に成立する「真」の特徴と重要性について述べた評論である。だが、これが実に難解である。
 残された授業時数も少ないため、議論の流れを追っていける半穴埋め式のプリントを作成して授業に望む。「半穴埋め式」とは、単に当てはまる答えを空欄に埋めるのではなく、本文の論旨の流れを図示したものの中に、説明や理由などを書き入れるようにしたものである。したがって、いろいろ考えねばならない部分がある。まあ、板書計画を先にプリント化したものとも言える。
 残り時数があと3時間という中での1時間目だが、本文を音読し、文章構成を確認した後で、このプリントを使って整理させたので、結局形式段落の第1段落しか進めなかった。残りはもっと簡略化しなくてはなぁ。