「……ましかば〜ましや」の効果

 2組と8組での授業。2組はようやく助動詞小テストのアナウンスができた。来週実施することになる。このクラスもだいぶ間が空いてしまい、8組がもうじき終わるという「帰京」を最初から訳していった。進んでいくごとに説明すべき箇所を思い出してくる。同じ内容を3回繰り返すことの効果がここにあるのかな。
 8組はいよいよ2つの和歌の解釈に入る。最初の和歌は前半部分が少々訳しにくいが、助詞を適宜変換してやればOK。さて、この箇所での最大の難所、2つ目の和歌である。
 「見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや」
ごぞんじ、「……ましかば〜まし」の構文である。つまりこれは反実仮想の構文、「もし……だったら、〜だろうに」と訳すものである。ところがこの歌にはそれ以外にも仕掛けがいっぱい施してある。さすがに『土佐日記』の掉尾を飾る和歌である。歌人紀貫之は自らの技量を存分に発揮しようと気合いを入れて作ったのだろう。
 早速助動詞「まし」の意味を生徒に確認する。しかし、指名した生徒は正しく答えられなかった。そこで「まし」の意味の判別の仕方を復習する。その後で答え直させたところ、「反実仮想」と答えてくれた。ほっ。これが分からないとこの歌の勘所が理解できない。
 続いて指名した生徒に、細かいところは抜きにして、反実仮想の訳し方に沿ってとにかく訳してみようと指示した。生徒は「亡くなった子どもを(これは教科書に注がある)千年の松と見たならば、遠く悲しい別れをせずにすんだだろうに」と訳してくれた。OK。そこまで訳してくれたら何の問題もない。若干私が助け船を出したが、それでも生徒は自力でやってくれた。感謝。
 後は、「亡くなった子ども」を何故「見し人」と表現するのかを問題にし、それが「かつてこの家で元気でいた姿を見ていた子ども」の意味であることを解説する。さらに「松の千年に見ましかば」が、「松が千年の寿命を持つように丈夫であったならば」の意味であることを説明する。そして、「遠く」には二つの意味が込められていることを説明し、「遠方」だけでなく何かと生徒に聞いたところ、「永遠の別れ」と答えてくれた。OK! それらを総合して解釈を組み立てた。いやいや、力業だったが、生徒が良く理解してくれた。
 何と切ない歌だろう。5年ぶりに自邸に戻ってみたら、松の片方はなくなっていて、そこに小松が生えていた。土佐で亡くなった子がもしもこの小松のように丈夫でいたならば、あの遠い土佐の地で永遠の悲しい別れをせずにすんだのに、と歌うのだ。幼い子を失った親の、悲しみ、嘆きが切々と伝わってくる。さすがは三十六歌仙の一人である。
 残念ながら本文は訳し終えられなかったが、良い授業であった。扱った作品の良さが光った。