50分授業の慌ただしいこと!

 今日は、後述する芸術鑑賞会のために、午前3コマ授業のみ、しかも50分授業であった。多くの県内の高校は55分授業を実施している。だから、50分授業とはその55分授業に近い時間であろう。私はどうもその「短い」時間に耐えられない。あまりに慌ただしいのだ。授業時間内も、また空き時間も。50分やら55分という時間は、何か一つのことをじっくり腰を落ち着けてやるにはあまりに短いと思う。多くの人は、一つのことを行うには90分が単位である、と言っている。大学の授業が一般的に90分であるのは、だから理にかなっている。それに比して50分やら55分というのはあまりに短い。私は、前々任校において、その50分間隔で1日が区切られることにほとほと参っていた。本校では通常は65分授業である。もちろん、まだ足りないのだろうが、それでも55分よりは10分も長い。これは大きな違いだ。じっくりと物事に取り組むことができる。本当に、本校以外の学校に行くことになった時、私はどうなるのだろうか?
 さて、授業は10組であった。淡々と口語訳を進めていく。このクラスは、どんなに難しい表現や重要は表現が出てくる箇所であっても、生徒に指名するとほぼ完璧に口語訳をしてしまう。勢い私の仕事は、何故そのような訳になるのかを文法的に解説することになる。おそらくそう訳した生徒自身も何故そのような訳になるのか自分自身で正確に理解できてはいないだろう。だから私の仕事にも意味がある。それにしてもよく勉強している。だから、このクラスにはもっとその場で考えさせ、話し合わせる課題を与えるべきだなぁ。
 土佐日記「帰京」は貫之が自分の家に帰ってきた時の、我が家の荒廃ぶりを嘆く場面が大事な要素である。その荒廃ぶりを生徒自身が見いだせるように導いてやると良いだろう。もう少し、工夫が必要だ。