承平5年1月11日の月はどちらに出ている?

 8組と2組での授業。土佐日記の「亡児」にようやく本格的に読み始めた。
 8組では音読練習の後、この教材のスタートがいよいよ土佐の地を離れる時点で書かれていることを指摘し、そこで考えられる貫之の思いについて質問した。そうした生徒の解答を用いつつ、土佐の地で亡くなった娘への哀惜の念が通底していることを確認する。
 後は少しずつ口語訳を進める。何とか和歌の手前まで来たかな。
 2組ではその8組が終わった少し前の部分からスタートした。そして、二つの和歌の解釈に進む。以前に紹介した「和歌の解釈法」3ポイントを再確認させようと思ったのだが、最初のポイントを私自身が忘れてしまった。やれやれ。「句切れの有無」だったね。もっとも、「亡児」での和歌にはこの句切れがないものだから、なおさら忘れてしまったのだが。
 そして、最初の和歌で係助詞や命令・願望・詠嘆の語句があるかと聞いてみた。生徒は分からなそうな顔をしたので、「この和歌の中に『詠嘆』が1箇所あるので、探しなさい」と指示した。さすがにこれなら分かってくれた。助動詞「けり」がある。
 次の和歌は、論理関係がかなり省かれているので、いくつかの言葉を補って解釈する。
 そして、承平5年1月11日の件に入る。ここでは貫之一行が暁頃に海上にいることが記されている。そして、「ただ月を見て、西東をば知る」とある。そこで、「この月は西の空、東の空どちらにあるのか」と問うてみた。生徒に1分間の考える時間を与え、お互いに相談をさせた。こうした二択問題は単純なのか、しかし理科的知識と古典常識が要求されるので、生徒たちはわいわいと活発に相談していた。その後、生徒に指名したところ、ちゃんと「西の空」と答えた。しかし理由を聞いたら、「西の空に沈むから」と答えた。だが、本文には「沈んでいる」ということは書いていないはず。東の空から出るところなのかもしれない。何故「西の空」だと分かるのか、と再び問うた。これには生徒は、活発に相談しつつも、理由がつかめないようだった。ふーむ、こういう質問は生徒を活発に動かすのだねぇ。なかなか面白かった。
 この問題は古典常識がものをいう。古典の世界は太陰暦である。「11日」といえば上弦の月で、半月よりもう少し過ぎた頃である。したがって、夜明け前の月は西の空に浮かんでいるはずだ。もっとも、当時の暦を調べた研究では、この日の月はすでに沈んでいたはずなのだが。ともあれ、古典常識を駆使して作品を読む必要性を味わわせることができたかな。