土佐日記に伏流する思いを「想像」する

 昨日の2組、今日の8組と2組の授業があった。後期からは土佐日記を取り扱う。
 土佐日記といえば「門出」の部分から始めるのが定石だが、今回はこの部分を簡単に扱うことにする。そこで、まずは土佐日記という作品についての解説をした。その後で、貫之がたどった旅路の行程が表になっているプリントを配り、その行程を追って地図に貫之の旅路を線で書いてみさせた。途中、日記には記されていない地点をたどることや、地名の難しさなどがあって、そんなに易しい作業ではないのだが、生徒はしっかりと取り組んでくれた。このようにしてみると、貫之が1000年前に行った55日間の旅の遙けさを少しは理解してくれるかもしれない。現代では、飛行機と新幹線を駆使すれば、3時間くらいで行けるだろうが。
 その後、「門出」の本文に口語訳を加えたプリントを配布し、旅の門出に当たっての流れを簡単にたどっておく。
 今日は、2組では次の文章である「亡児」に進んだ。まずはこの文章での係り結びの箇所を指摘させる。生徒は係り結びに対する意識が薄いし、この文章では結びの消滅も結びの省略も出てくるので、ちょうどいいと思った。案の定、生徒は係助詞10個でさえなかなか見つけられない。机間巡視して状況を確認したり、ヒントを与えたりした後で、説明をする。
 その後、この文章が12月27日付であることを確認し、その日は貫之がどこにいたかを確認させる。そして、それが土佐の地を離れる時であることを確認させ、その時の貫之の気持ちを「想像」させる。生徒は「悲しい・寂しい」と答えてくれた。OK。しかし、当時の下級貴族のことを考えると、京都に戻れることは何よりも嬉しいことだったに違いない。それにも関わらず、旅の準備をしていても「何も言はず」とあるほどの悲しみをたたえているのは何故か、を考えさせる。そこで、その土佐の地で娘が亡くなっており、その娘が亡くなった地を離れることの寂しさを持って、この日の件を書いていることに気づかせる。
 土佐日記は、門出の部分の諧謔に気を取られがちだが、その根底に伏流する亡児への哀惜の念を覚えていくと、なかなかに味わい深い。