夏季講習1日目

 今回の夏季講習は6日間、6回にわたって行われる。毎年、1年生のこの夏季講習では古典の助動詞をまとめて一通り取り扱うことにしている。テキストを渡し、毎回2種類前後の助動詞を教えていく。
 ところが、今日は60分授業の上に、大清掃・SHRのドタバタのあとで準備に手間取ったことなどで、実質の授業時間がどんどん少なくなっていった。しかも、10クラスを3人の教師で1日3コマの中で教えていかなければならないので、午前3コマすべてが埋まっている。不思議なもので、1コマ目、2コマ目と進んでいくうちに進度が少しずつ少なくなっていく。というわけで、今日は「る・らる」と「す・さす・しむ」の2種類を扱う予定だったが、実質「る・らる」までしか進まなかった。やれやれ、である。

古典文法を教える意義について考えてみた

 西川先生が古典(特に古典文法)を教える意義を示して欲しいとおっしゃっていた。そのことについて少しだけコメントしたい。といっても、受け売りになりますが。
 ヨーロッパにおいてラテン語が教えられていたのは何故なのだろうか。しかもそれは近代に至るまで最重要学習事項として教えられていたし、現代でもラテン語を学ぶことは西欧の学問の重要な内容であるはずだ。さらにそのラテン語は現代語訳ではなく、ラテン語そのものを学ぶものだ。
 内田樹先生が言われていることを思い出す。教育とは「ここには何かあるなぁ」と思わせることから始まる、というようなことである。内容が分かることが学びを発動させるのではない。ここには何かある、と思わせることが学びを発動させるのである。
 その内田先生の言葉を援用するならば、古典文法という訳の分からないものを学ばせることにも意味がある、と考えられないだろうか。(うーん、ちょっと苦しい説明ですね)(^_^;)