評価システムを繰り入れた授業開発を!

 その現代文だが、同僚たちと採点基準を話し合う機会を得た。その中でいろいろと話をしたが、やはりこのようにきっちりとした考えと記述を要求する試験においては、あのような話し合いを中心とした授業はカバーしきれないなぁ、と感じた。生徒同士の話し合いをその活動の大半とし、まとめは私が配ったプリントのみである。プリントにはしっかりと考えをまとめているけれど、人間はプリントさえ配ったからと言って、それで頭に入っているような代物ではない。教員とのやりとりや級友の答え、教室の雰囲気・空間・時間が総合的に作用してその人の記憶に定着したり、理解を深めている。私が行った話し合い中心の授業では、生徒同士が話し合ったことの内容は深く記憶されているだろう。しかしその内容は必ずしもきちんと文脈を踏まえたものであるとは限らない。時には突拍子もない方向へ話題が飛んでしまうこともあっただろう。そして、得てしてそうした内容の方が記憶に残るものだ。まさに、教室空間が学習を成立させるのである。
 よって、今回のような試験においてもきちんと解答できるようにさせようとするのならば、生徒同士の話し合いを行った後で、その話し合いの内容を整理し、前後の文脈との整合性を確認し、クラス全員で共通理解を得る、というフォローの時間を設けるべきだったのだ。しかし、そうすれば予定した時間の倍はかかっただろう。
 ただ、生徒の学力というものは1回のテスト問題で計れるような単純なものではない。広く「国語の学力」という観点で見るならば、話し合いの授業は今回のテストでは計測しきれない様々な能力を伸ばしているはずである。生徒のアンケートを集計すれば、その結果は明らかになるはずだ。
 でも、本校のシステムによれば、定期テストでの成績が大きくものを言うんだよね。普段の授業態度や提出物の出来具合などは、現段階ではなかなか繰り入れることができない。それらは学年成績に繰り入れるのである。
 うーむ、活動中心の授業をする限りにおいては、評価システムもそうした授業内容を踏まえたものにすべきだなぁ。評価システムを授業方法の中に組み入れない限り、真の授業改善はありえない。小手先だけの工夫しか実現できないことになる。
 こんなことは教育関係者の中では当たり前のことなのだけれど、意外に高校ではなおざりにされていることである。