リテラチャー・サークルについて

 連休中の課題の1つ、リテラチャー・サークルについての論文を読む。これを理解するとともに、自分でも実践できないか考えてみようと思っている。
 リテラチャー・サークルを導入しようとする理由として、「読書」という行為にも様々なアプローチの仕方があり、また「読書」という行為そのものが様々な方法によって行われるものなのだということが分かった。これは驚きの知見である。「読書」はただ本を読むだけではなく、その読むという行為の中にも様々な知的活動を総動員して行われる行為なのである。よって、読書を教えるためには、単に「さあ読もう」と声をかけるだけではなく、様々なアプローチの仕方が必要だ、というのだ。これには少々驚いた。
 読書行為には「読書前」「読書中」「読書後」の3つの場面があるという。その中で、日本の読書教育は「読書前」と「読書後」の指導法はいくつかあるだけで、バランスのとれたものではない。そこで、バランスのとれたリテラチャー・サークルが有効であるはずだ、という。そして、「読書中」の指導として、日本の国語の授業で行われているのはこの指導が中心だ、という。確かに、「読書教育」としてはバランスがとれていないかもしれないが、「読書教育」指導+国語の授業、によってバランスがとれることにはならないのだろうか。国語という教科全体において、バランスがとれているのではないだろうか。
 理屈はそうだろうが、読書教育そのものがあまり行われていない現状では、やはりアンバランスな教育内容になっているのだろうね、日本の国語教育は。