授業研究になれば良いのだが……

 10組での授業。「児のそら寝」のまとめの部分である。私が協同作業による授業をしていることを聞いて、興味を持ってくださった同僚の先生が授業を見に来てくださった。これは本当にありがたい。私の授業には良い点も悪い点もきっとたくさんある。それを、客観的な目で見てくださるのはとてもありがたい。まあ、往々にして終わったあとに特にコメントをいただけないのだが、それでも授業を見てくれることには意義がある。よろしければ、どんどん見て欲しい。そして、ほんの一言でいいから、コメントをいただけたらありがたい。今回も、「やはり生徒が話し合うのはいいですね」と言ってくださった。ありがたい。
 「児のそら寝」の背景について生徒に話し合わせ、考えさせる。今回は、前回8組でやった時よりは少し時間を縮め、私からの説明もできるだけ簡素にした。あまりどぎつい説明はまだ彼らには早すぎると考えたからだ。
 児が僧たちから「かいもちひ」が出来上がるのを待っていたと思われたくないと考えた理由や僧たちが最後に笑った理由などを考えさせる過程で、児と僧たちとの関係を深く考えさせた。生徒にグループで考えさせ、何人かに指名して答えさせたのを黒板にメモし、それを用いて考えをまとめていった。僧たちが児に対して好意を持っていたと考えられること、そして児もそうした僧たちの思いを裏切りたくないと考えていたことなどを、指名した生徒の答えや積極的に発言してくれた生徒の答えなどをまとめつつ説明していく。ここまでくれば、児を描いた絵を見せ、彼が僧たちの恋愛の対象だったのだ、と言っても、どうやら軟着陸的に受け入れてもらえたようだ。授業後に集めたプリントにも、今日の授業での話し合いは面白かった、古典の背景が分かって面白かった、という意見が寄せられていた。
 なるほど、児と僧たちの関係を確認し、そこから背景を説明するといいのだね。こうした流れは、実はその授業の最中に思いついたものだ。しかも生徒の反応を見ながら。やはり授業は生徒との関係において作り出すものである。また、そうでなければ面白くない。