大学へ

 昨日授業変更をしたために、今日は授業が1つもない。しかし、この時とばかり、たまっている仕事や用事を片付ける。
 午前中はまず大学へ行った。書類の提出をしなければならないためだ。新潟市は4月の23日だというのにまだまだ寒い。本当に、今年はどうしちゃったんだろうね。全国的に寒い春のようだが、新潟市は特にそれを感じる。気温は10度を超えて入るようだが、風が吹くためになかなか暖かくならない。大学のキャンパスも寒々としていた。しかし、学生たちはたくさん来ていた。私はちょうど1限の終わりと出くわしたのだが、大勢の学生たちが建物から外へ移動していた。この時期は、まだ多くの学生が授業に出るからね。人の動きが激しい。
 私は教育学部にも行き、指導教員に会いにいく。正直言って、国語教育の専門家から指導を受けるのはこれが初めてである。私は学部は人文学部であったし、教職課程はとったが、何しろ内容はもはや覚えていない。大学院は放送大学であり、しかも指導教員として付けられたのは教育社会学が専門の先生であった。国語教育学を専門とする方は放送大学にはいなかったのだ。今回も、最初は現代社会文化研究科には国語教育学を専門とする方がいない、と言われ、正直「またか」という思いでいた。しかし、その後に変化があり、国語教育学の専門家がお一人指導教員の中に加わっておられたのだ。もちろん、迷わずこの先生を指導教員のうちに入れさせていただいた。その先生から指導を受ける、今日は2回目だった。
 いやはや、国語教育学の専門家から話を聞くことがこんなにも刺激的で知的好奇心を昂揚させるものだとは思わなかった。しかも、私の指導教員となってくださった先生は、私の問題意識とかなり共通したテーマで研究しておられる方である。私は、自分の興味関心が初めて人に認められたような気がした。そして、その方向で学んでいっていいのだ、という実感を得ることができた。
 今日は、大学院生のゼミをしている途中にお邪魔し、修士課程に在籍している方々と顔合わせの機会も設けてくださった。学部から上がってきた方、現職で学んでいる方、他大学出身でこられた方など、いろいろな方と会うことができ、これまた非常に刺激的である。こうして実際の人々と対面することができるのは、通信制の大学院では経験することのできないことである。
 私は、自分が他の人の目があるところの方が勉強するタイプである、という自覚がある。これは高校生の時にそう感じた。家で勉強するよりも、高校の図書館で勉強する方が真剣に勉強できるのである。他人の目がないと、つい関係ないものへと手を伸ばしてしまう。しかし、他人の目があるところでは集中せざるを得ない。と言うことで、自分は他の人がいることで勉強をしてきた。こうした他者意識が学習の原動力にもなっていると思う。それが私のテーマに関連することでもあるし、自らが学ぶ・仕事をする上でも変わらないことである。
 私の指導教員は、本当に親身に指導してくださる方だ。と同時に結構厳しい方でもある。今日もテーマに関連する論文のコピーをたくさんくださり、「暇な時に読んでください」と言われた。しかし、これはプレッシャーである。実は、他にも宿題を与えられている。その上に、この論文の束だ。こんなことも今までされなかったので、感動しありがたく思うとともに、気を引き締めて望まなければ、との思いもある。