終業式・離任式

 今日は3年生としての卒業生に会える最後の日、離任式である。3年生は朝からぽつぽつと集まり始め、懐かしい、しかし馴染んだ顔を見せてくれた。もちろん、来ることができる者だけである。それでも、半分近くの生徒が来てくれたのではないだろうか。大学入学や新天地での生活の準備に忙しい時だというのに、本当に多くの生徒たちが来てくれた。
 最初に視聴覚ホールに早めに来た生徒たちを集め、話をする。我が1組は20名の参加、である。来てくれた彼らに卒業式での写真を配る。
 離任式は毎回胸が切なくなる。本校にとって大きな働きをしてきた同僚たちが、それぞれの期待と寂しさとを抱えて、一人一人が離任の言葉を述べる。心を打つものもあり、笑いを誘うものもあり。今回がユーモアのあるあいさつが多かったかな。最後に、エールと応援歌「丈夫」で送る。卒業式と同じように、我々残る者は出口で同僚たちを待ちかまえ、拍手で送る。そう考えると、このセレモニーは一種の卒業式なのかな、と思う。職員としての卒業式、である。
 式の後は職員室に本当に多くの生徒たちが来た。何しろ今回の異動で、この3学年の部長・担任2人・副任3人がいなくなる。それは多くの生徒があいさつに来ますよ。教務室は1時間以上、生徒でごった返した。
 私の所にも、クラスの生徒を中心にたくさん来てくれた。おみやげまでくれた者もいる。後期で滑り込んだ者もいる。記述指導を担当したが、十分応えてやれなかったのに、あいさつに来てくれた者もいた。昨年の2年7組だった生徒たちも。また2年間担任し続けた者などなど。本当に多くの生徒が来てくれた。
 思うに、人間というものは、こちらが手をかければかけるほど、かけた努力のその何倍もの報いを与えてくれるものだと思う。これは、私が教育実習で実感したことだ。教育実習の時に、私は毎晩遅くまで必死で教材研究をして授業に臨んだ。あの時教えた生徒たちは、そんな私に対して何十倍もの報いを与えてくれた。一人一人が書いてくれた感想の言葉は、私の宝物である。みんなが私への親しみの言葉を書いてくれた。あの言葉をもらったがために、私は教員になることを決意したのだ。
 今日もまた、その時感じた思いを新たにすることになった。私が3年生たちに対して傾けた努力は、そんなに大したものではない。でも、その時々に応じて、必死で動いてきた。私ができることは教科指導が中心で、それ以上のことはほとんどできていない。それでも生徒たちは最後にこんな形で、私に対して大きな報いを与えてくれるのだ。もちろんその報いは形のあるものではない。ただ、会いに来てくれるだけである。そして、感謝の言葉を与えてくれるだけである。でも、私たちにとってこれ以上の報いがあるだろうか。彼らが来てくれる。そして言葉をかけてくれる。それで十分である。
 本当に、人間というものは素晴らしい。もちろん、この報いが欲しいがために日々の努力をしているわけではないが、努力がこんな形で報われることは何より心を温める。卒業生たちの素晴らしさと、人間の素晴らしさを強く感じる。