卒業式

 卒業式である。前日の晴天とはうって変わり、朝から冷たい雨模様の日となった。ここぞという行事の時には、なぜか必ず天候にたたられるこの学年だったが、最後の日に至るまで、それは続いた。いや、我らが学年らしいね。
 右の写真にあるように、女子たちは大化けをして姿を見せた。私は、彼らがあまりに急に姿を変えるので、この姿は好きではないのだが、それでも見分けがつかないほど化けた者はいなかったので、一安心した。全員が揃い、さあ、卒業式へ。
 最初に同窓会入会式がある。その最後に学年部長からのお別れの挨拶がある。生徒たちに感謝の言葉を述べておられた。同感である。私も彼らには感謝の言葉しかない。私も彼らにメッセージを言うならば、その言葉しか思いつかない。その後で、3年生全員で応援歌「丈夫」を歌う。この声が、良かった。大きな声で、立派な丈夫だった。
 そして卒業式。1組の生徒たちを先導して中央通路を歩く私がどれほど誇らしかったことか! これが私の3年1組だ! と大声で紹介したいのをぐっとこらえて、ゆっくりと歩く。一番すてきな時間だ。
 「卒業証書授与」になり、私が最初に呼名をする。私が一人一人名前を呼ぶ、その声に対する彼らの返事の何と清々しいことよ。大きな声で、はっきりと返事をしてくれた。1組だけでなく、全員が素晴らしい返事をした。嬉しかった。
 そして、卒業生代表答辞。前日までその内容について一緒に考えていた彼が、当日にまさかあんなに素晴らしく話してくれるとは! 彼は、時々手元の原稿に目をやるものの、ほとんどを顔を上げて聴衆に向かって話し始めたのだ。しかも、自分の語る言葉でさらに説明が必要と思われた部分は即興で説明を加えて。また、具体例までもその場で差し込んで、話をしてくれた。元の原稿の内容を知っている私は、その内容が次々に新しく立ち代わって生まれてくるのをリアルタイムで聞くことができた。もう、言葉にならないほど感動した。素晴らしかった。このあたりから、私の涙腺が怪しくなってきたんだなぁ。
 記念品贈呈は1組の生徒が行ってくれた。彼女の手によって目録が渡された自然石のガーデンセットは、この学年が喜んで利用していたように、後輩たちが喜んで使ってくれるだろう。やはり、すてきな贈り物だった。
 彼らが退場するのを我々は出口で拍手で見送る。これまた、誇らしい一瞬である。笑顔と涙で出てくる彼らを、本当に誇らしく思う。
 最後のLHRである。私は、3年前のこのLHRで号泣してしまった。何にも言葉にならないのである。これでは彼らに、最後のメッセージを送れない、と思ったので、今年はなんとか泣かない工夫をしようと、まずは教室の入り口の戸を開けて、保護者の方々にも入っていただいた。副任の先生にも最初から一緒にいてもらった。
 そして、事前に頼んでおいて、生徒一人一人に一言ずつ話をしてもらった。みんなが、この1年間の充実と感謝の言葉を述べてくれた。なんてすてきな彼らだろう。その後、副任からメッセージをいただいた。「道に迷ったら、わくわくする方を選べ」と言ってくれた。これまた素晴らしい。私より遥かに素晴らしい、そしてすてきなメッセージだ。
 さて、私の番になって、彼らの前に立った途端、涙腺のダム決壊、である。思ってもみなかった。何の前触れもなく、涙が止めどなく流れてきた。参った。今回もほとんどまともに話すことができず、ただ、彼らへの感謝と、1年間の充実と、再会への期待を話すだけだった。
 最後に、私と副任とで歌をプレゼントした。私の好きなスピッツの「チェリー」である。「いつかまたこの場所で 君にめぐり会いたい」というフレーズは、偽らざる私の気持ちである。
 そして記念撮影。そうしたら、3年1組の彼らからプレゼントをもらった。大きな団扇の両面に一人一人のメッセージを書いた紙を貼ったものをくれた。昨日、何か書いているなとは分かったが、それが私たち担任・副任へのものだとは分からなかった。大汗かきの私にふさわしく団扇にしてくれたのが心憎いではないか。みんなで記念写真を撮って、最後は笑顔になってお別れした。
 卒業式は2回目。そのどちらも、たまらなく寂しく、たまらなくいとおしく、そしてたまらなく嬉しくなる。3年間をともに過ごした彼らが旅立っていくのを、正直言って引きとどめたいほどだけれど、でも、心から喜んで見送ろう。
 ありがとう、平成21年度3年生。ありがとう、3年1組。僕には、ただ「ありがとう」の言葉しかない。