正気のない日曜日

 毎週日曜日は私にとって大切な日である。私はクリスチャンなので、毎週日曜日には集会に行く。日曜日だけではないけれどね。でも、日曜日はほぼ1日集会にいる。午前中に日曜学校があり、そこに子どもたちを送っていく。その後に礼拝がある。クリスチャンにとって最も大切な集会だ。そして、掃除をした後に皆で昼食を摂る。これが楽しい交わりの時である。その後、午後2時から福音集会を行う。たくさんの方がこの福音集会に来て欲しいと切に願う。私も中学生の時にこの集会に出席し、主イエス・キリストを救い主として信じ、滅びから救われた。この救いは私という人間の根源である。私のすべてはここから発すると言っていいだろう。多くの方にもこの救いを得ていただきたいと切に願っている。
 そういう幸いな日曜日なのだが、今日はダメだった。原因の一つは今朝の家庭内でのゴタゴタである。最近はどうもダメだ。家庭内でゴタゴタがあると、こちらのエネルギーが吸い取られたようになる。何をするにも気力がわき起こってこない。
 もう一つの原因は先週1週間の疲れが一気に出たことだろう。いよいよ本格的に講習の嵐が始まった。3年前もまた、この講習の嵐に立ち至って、死ぬ思いでその時を過ごしてきた。あの時はまだ3歳ほど若かったわけだが、それよりは少し年齢を重ねた今となっては、この嵐を抜けるのはさらに難しくなっているようだ。全く、私自身の体力を絞り上げるような講習はするべきではないね。それはもっと自分自身にエネルギーがある時にできる形である。このように体力があまり余裕のない年齢に立ち至っては、それでも最大の効果を上げられるような講習の形を考えなければならない。前回と同じ形では、年齢を重ねた我が身にはもはやできないことなのだ。
 そんなわけで、今日1日は集会に出席していても何もできぬ状態だった。家に帰ってもうたた寝や早寝をしてばかり。やろうと思っていたことも何もできずに1日を過ごした。疲れているのだね。