「五柳先生伝」の授業

 6組と8組での授業。8組はほとんどテスト返しと解説だった。
 6組は「五柳先生伝」が快調に進んでいる。もともと、今週1週間の特編期間中に3コマもあるクラスだ。進むのは当たり前か。でも、最初の1コマで読みの練習を終え、口語訳を半分ほど進み、今日の授業で全部終わった。これは私の授業がどうのこうのというより、陶淵明の平明な文章のせいだろう。使われている語彙は難しいものだが、句法としては部分否定と疑問しかなく、後は文脈と常識で十分口語訳できる。それでいて、表現されている内容は深い。
 確かにこの文章の場合、世俗を離れて隠棲生活を送るという人物の気持ちに現代の生徒がどこまでコミットできるか、というのが最大の問題だろう。私の授業の場合、その最大の問題をすっかり削ってしまったから、それで進度が速い、とも言える。最後はこの陶淵明の境地について考えさせた方が良かったなぁ。せっかく6組は時間に余裕があるのだから。そして、それが古典を学ぶ最大の意味なのだから。ただ、試験には出ないなぁ。
 高校教育の場合、そして特に進学校の場合、いつもこの問題に悩まされる。古典学習の本来の意味と試験対策とは往々にして相容れない。そして多くの場合、私も含めて、試験対策に重点を置く。そして困ったことに、その試験対策に重点を置いた授業の方が、現在は評価される、ということだ。
 その点、「学び合い」はクラスの全員が成績が良くなる、という。この問題についても、「学び合い」は解決策になるのだろうか。