山月記の授業
今日は3組と4組での授業。3組は第3段、李徴が虎に変身するいきさつを語る場面である。
ここで確認したいのは次のポイントだ。
- 李徴が失踪する夜、彼を呼ぶ「だれか」とは誰か。
- ここで語られる、利用が虎になった理由は何か。
- それをさらに一般化して、生きもの全体の問題としてとらえ直すとどういうことになるか。
今日の授業はここまで。さらには、虎となった李徴の哀しみとその内容について考えさせる必要がある。人間が虎になるなど非現実のことだが、李徴の哀しみは十分に共感できる。その共感をてこに、李徴の哀しみを考えさせたい。
4組では第1段の、李徴が発狂するまでのいきさつをまとめ、そこから李徴の性格を読み取る作業をした。そして袁傪との比較も行う。今回新たに気づかされたのはこの箇所である。
「その声は、我が友李徴子ではないか。」
これは小説全体での袁傪の唯一の肉声である。山月記は間接話法で書かれる会話が多いが、所々に肉声が見える。しかし、袁傪の肉声はこの1カ所のみである。そしてそこで彼は李徴のことを「我が友」と呼び、敬称である「子」を使うのだ。袁傪の李徴に対する親しみと敬愛を示していると思う。この袁傪の気持がなければ、山月記という小説はここから先へ進まない。小説を動かすエンジンの一つである。