加藤周一の文章の授業

 4組での授業。加藤周一の「ある少女の眼」をようやくどのクラスでも終えることができた。
 このクラスで、第3段落を教えるのは3回目なので、さすがに扱い方はしっかりしたものだ。一番安定して話すことができた。この文章は「全てが有限であることを認識しつつ、生きるとは何かと問い続けていこうではないか」という筆者の主張が金太郎飴のようにどの箇所からも出てくる。そのテーマは一貫して変わらない。その対立軸として近代科学が挙げられている。科学は多くの問題を解決してきたが、人は何のために生きるのか、という問いには答えを与えられないものだ。そしてしばしば科学で未解決の問題については何も語らずに適当な説明でごまかしてしまう態度が見受けられる。そのように考えることをやめるのではなく、考え続けよう、と読者に訴えている。そう読み解くことで、ようやくこの文章全体の見通しがはっきりしてきた。さすがに随想だけあって、こちらが大胆に論理展開を補っていかなければ理解するのが困難である。
 年度当初の随想はだいたいいつも扱いに手を焼く場合が多い。随想だからかな。いきなり評論か定番小説を持ってきた方がよいのかも知れない。