下足ロッカーの大掃除などをする

 昨日の卒業式の余韻がまだ残る中、また新たな日常が始まった。その中で、卒業担任としての最後の仕事の一環である、卒業生が使っていた下足ロッカーの大掃除を行った。
 思えば、私は3年前にもこの大掃除を行った。結局、その時の生徒たちが使っていたロッカーを、この卒業生たちも使っていたのである。下足ロッカーは3年間ずっと1年生の時の並び方で使われるのだね。
 懐かしい1年4組のことを思い出しながら、まずはロッカーの中に残っている内履きなどをすべて外に出した。その後、ロッカー内の砂などを掻き出し、下に置かれているすのこを運び出し、床をほうきで掃く。この時点からものすごい砂埃がまき上がる。折からの日差しが浮かんで、チンダル現象の実験を目の当たりにできたりした。その後、すのこを水で洗い、乾かしながら運び出した靴をひとまず別の場所に移す。確かに多くの靴が残っていたが、3年前に比べたら残っているものはだいぶ少なかった。こんなところにも、この学年の真面目さが表れている。
 この作業は、本当にものすごい土ぼこりが舞う。我々担任一同+副任有志は、もちろん全員が着替えたり、マスクを二重にかけたりしてこの作業に臨んだ。しかし、終わってみると、二重にしていたマスクの2枚目の内側にさえ土ぼこりの黄色い跡が残っていた。ということは、どれだけの量の土ぼこりを吸い込んだのだろう。空恐ろしい気持ちになる。
 でも、これで本当に3年生が巣立っていったのだ、と思う。彼らを偲ばせる「モノ」はもはや校舎には何も残っていない。あるのは、私の頭に刻まれた「記憶」だけである。まだ、3年1組教室には行っていないのだけれど、行ったとたんに映像がふわっとよみがえるのだろうなぁ。今日、別の作業で前の学年の時に使っていた教室、元3年8組の教室に行ったのだが、あの卒業式の後に私がしていたように、机が教室の後ろに下げられたままだった。記念撮影をしたんだね。これまた、思い出がふわっと蘇ってきた。本当に、「場所の記憶」というのは鮮烈なものである。3年1組教室も、私にとってはそんな場所になったのだろう。新3年生が来る前に、もう一度訪れてみよう。
 後は25日の離任式の日に卒業生たちが来るのを迎えるだけである。1つ1つ、作業が終わっていくごとに、素晴らしかった3年間が時間の流れの中に押し出されていく。うーむ、やはり余韻が甚だしく残っているなぁ。

指導要録ひとまず終了

 今日は他にもいくつかの仕事をする。そして今日、ようやく指導要録を書き終えた。私のクラスには留学している生徒がいるので、その生徒の指導要録をどのように書いたら良いのか、よく分からないところがあった。それらを何とか解決して、38人分の指導要録を一応書き上げた。これを副任や学年教務や教務部の先生方にチェックしてもらい、不備な部分を修正して、今月末には完成させる。
 一人の生徒の3年間を記録するにはあまりにちっぽけな2枚の紙だが、そこに書き込まれた担任それぞれの言葉は、やはり気合いのこもったものである。一担任の目という、これまた不完全な視点でしかないが、それでもある真実ではある。こうして生徒たちが記録に残されて、金庫にしまわれて、新潟高校の1つになっていく。でも、素敵なことじゃないかなぁ。

前回の卒業生T君来訪

 このT君は毎年度末になると来てくれる。それまでは後輩の野球部を指導してくれたりしていたが、今は指導はしていないという。でも、こうして私を訪ねにきてくれた。嬉しく、ありがたいことだ。最近の様子や今後の予定などを聞く。彼は今2年生で、3年生に進級するのはあまり大変ではないので、勉強をしていないのが不安だ、とのことだった。よしよし、その不安があれば新しい年を充実して迎えられるだろう。
 今年の3年生たちの合格状況を確認し、自分の後輩になる者がいるかどうか確認していた。彼もまた、頼もしい、そして今後が楽しみな人物である。来てくれて、ありがとう。