「譬若錐之処嚢中」の授業

 今日、この日記を書こうとして少々愕然とした。月・火の分を書いていないのだが、その書いていないということを全く忘れていた。私はこのはてなダイアリーを記すのはかなり習慣化しているので、更新することにあまり抵抗感を感じずに毎日続けることができる。以前には更新しないと気持ちが悪くなるほどだった。それが、更新しなかったのは良くあることとして、自分が更新していないことを全く気づいていないということは初めてだ。うーむ、だいぶ疲れているな。
 さて、4組と2組での授業である。どちらも玉鬘を終え、史記を読み進めている。戦国時代の平原君の話だ。本当に漢文というのは、同じ古典の時間に扱っていいのか、と思うほど内容も雰囲気も違う。日本古文はいわばうねるように進む軟体動物だが、漢文は論理的にカチリカチリと進む高性能ロボットのようだ。文体から受ける感覚はそれほどの違いがある。でも、どちらも素晴らしいなぁ。漢文をやっていると古文のうねりが懐かしくなるし、古文をやっていると漢文の明晰な直線に触れたくなる。
 ということで、4組では「譬若……」の文章を読み終え、次の「毛遂定従」に入る。ところが試験までの残り時間があと1時間しかない。これは終わるはずがない。他の先生から時間をいただくこととしよう。