コメント書きが楽しくなってきた……

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 金曜3限の教養Ⅰ(国語)はリーディング・ワークショップを行なっている。リーディング・ワークショップもライティング・ワークショップもプロセス・アプローチの教え方なので、学び手が作業しているまさにその時にアドバイスをするのが本来の方法だ。しかし、授業での読書の時間は今のところ15分程度しか取れていなかったので、十分なカンファランスを行うことができなかった。そこで、授業の終わりに書かせている大福帳へのコメント書きに力を入れている。

 大福帳のコメント欄へは、今のところかなりの分量を書いている。どうしても時間が取れないときは「OK」としか書けないけれど、今回はそれは1回で済んでいる。だいたい、毎回2〜4行のコメントを書くことができている。一人一人への対面のカンファランスが不十分なので、このコメントを通して少しでも学生たちへのサポートをしようとしている。

 最近は学生たちもこの授業のやり方に慣れてきたのか、読書の良さが理解できてきたのか、彼らが書く内容も面白くなってきた。これを読み、一つ一つコメントを書いているのだが、次第にこれが楽しくなってきた。そして、時々質問がある。この質問が授業を進めていく上では参考になる。学生たちがどんなことに悩んでいるのか、躓いているのかが分かる。これへの回答コメントを書くとともに、その質問があったことを授業でも紹介し、回答も紹介している。これがまた彼らの質問意欲を掻き立てるらしい。今日の大福帳にはいつになく質問が多かった。この質問への回答を考えるのも楽しみである。

 この授業はブックトークをすることを学期の終着点にしている。その第1回のブックトークが近づいてきた。ミニ・レッスンで教えてきたこと、大福帳へのコメントでサポートしてきたこと、授業の終わり頃に学生同士ピア・カンファランスで話し合ってきたこと、Scrapboxで読書ノートやブックトークの原稿を書いてきたこと、それをお互いに参照し合えること……。これらがどう功を奏すか、楽しみである。

「読書へのアニマシオン」の模擬授業見学


 3週間前くらいから、新潟大学教育学部の足立幸子先生の授業を見学させてもらっている。この授業は中等教育向けの国語科指導法で、今は学生(3年生)に模擬授業をさせている。50分間の授業を丸々やらせ、残りは授業検討会である。これは贅沢な授業だ。現場での授業さながら50分間の模擬授業ができるのがまず素晴らしい。私がかつて教育実習事前指導を担当していたとき、担当時間数の関係で模擬授業を最初の20分間くらいしかさせてやれなかった。それに比べると、1コマ丸々授業できるのは良い。もっとも、学生数が多いのでTTの形態をとらざるを得ないようだが。

 先週の模擬授業は「読書へのアニマシオン」を取り上げていた。これがすこぶる楽しかった。読書へのアニマシオンはどうもとっつきにくい気がしていたのだが、やはり可能性のある教育活動なのだと実感できた。

 授業では宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を取り上げていた。事前に生徒役の学生に本を配布し、読んでくるように指示されていた。当日の授業で行われたのは「作戦15 質問合戦」である。各自が持参してきた質問をグループで絞り、グループごとに他のメンバーへ質問を出す。解答者はグループ内で指名される。そして、①解答者自身が解答できたら+2点、②グループで相談して解答できたら+1点、③無答または誤答は0点、で競っていくという。なかなかよくできたルールである。歴史のある活動だから、当たり前か。

 学生たちは乗っていた。進行する教師役の学生のフリが上手で、よく場をファシリテートしていた。終盤は少し飽きてきた雰囲気が漂い始めたが、それでも7グループが1つずつ質問を出し、楽しく終わった。

 学生が考えた質問例は下記のようなものだった。

  1. 作品全体を通して銀河鉄道には何人乗ったか?
  2. ジョバンニの銀河早見図を飾る植物は何か?
  3. カムパネルラが忘れた2つのものは何と何か?
  4. 作品中に出てくる賛美歌は何番か?

 これらを聞きながら、この作戦においてどんな力を養おうとしているのか、考えていた。1番目はストーリー全体を見通す力、2番目は描写の細部に注目する力、3・4番は場面を想起する力、あたりだろうか。当然のことだが、「推測する」「解釈する」などを用いる、答えが定められない質問(オープン・クエスチョン)を扱うにはこの作戦では無理だということがわかる。逆に言えば、この作戦によって養える力を意識し、それを養えるよう授業を構成すべきなのだろうし、評価規準もそこに置くべきだろう。

 質問づくりの活動とは、この作戦はどんな関係になるのかな? アニマシオンの作戦を読解方略から整理し直したら、どうなるのかな? そんな研究はもうあるかな? などなど、楽しくいろいろなことを考えていた。

ゼミ研究のテーマは「問い」の形にしよう

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 今日の2年生ゼミは各グループの研究をプレゼン資料にまとめる際の注意事項や資料の見本などを紹介した。その際、今年は表題の通り「テーマを『問い』の形にしよう」と指示した。「なぜ〜なのか」「〜の問題点」などの形にするようにさせたのだ。その方がおそらく自分たちのテーマについて深く考えるきっかけとなると思う。

 ゼミ研究のテーマといえば、いわば「リサーチ・クエスチョン」である。大学院の博士課程に通っていた頃、指導教官から教わった大切なことの1つに、「リサーチ・クエスチョン」と「結論」とが一直線につながっているのが良い論文である、というものがある。これは私にとって実に有益な教えだった。文献を読む際にもこの教えは、その論文の良し悪しを判断する手立てになったし、他の論文を査読する際にもこれは重要な基準となった。そして何より、自分が論文を書く際に、このことをまず第一に考えるようになった。人間は文章をどんどん書いているうちに、はじめに設定したはずのリサーチ・クエスチョンとは違う結論を書いてしまいがちである。しかし、本人は頭の中ではつながっているものだから、そのねじ曲がりに気づかない。結局、何を言わんとする論文なのか、とても分かりにくくなるのだ。私自身、十分に気をつけずに書く文章は得てしてそうした傾向を持つものとなる。だからこそ、この教えは私にとってとても重要な基準となっている。

 今回、学生に取り組ませるゼミ研究も、まさに自分たちでリサーチ・クエスチョンを立て、それの答えを探すというものである。その、自分たちは問いに答えようとしているのだ、という姿勢を自覚させるために、研究テーマを「問い」の形にするように、としてみたのだ。今まで、学生が設定するテーマの表現は「〜について」というものがとても多い。しかし、これでは実は、自分が何を問おうとしているのか、何を調べるべきなのか、どうまとめ、どう回答すべきなのかが分かりにくくなる。これは改めるべきだな、と考えた。

 大学院の師の教えは私の心にがっしり残っているのに、それを学生のゼミ研究への指導に応用することに、6年目にしてようやく気がつくとはね。ずいぶん迂遠な話である。

 今日のゼミでは、上記の指示の後、卒業アルバム用の写真撮影のために海岸に行った。本学は歩いて数分で海岸に出ることができる。少し曇っていたが、穏やかな良い天気だった。ある外国人の男性が話しかけてきて、この場所では泳げるのかと聞かれたので、少し深い箇所はあるが大丈夫だろう、と答えた。彼は学生たちが写真撮影をしている先で颯爽とパンツ姿になり、海に入っていった。なかなか格好いいものである。

村上市に行って思うこと

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 今日は学生の実習の巡回のために村上市に行ってきた。村上市は先日の地震震度6強を観測した所だ。しかし、園の先生に聞いたところ、村上市中心部はそれほどでもなかったらしい。

 私はかつてこの村上市に住んでいたことがある。高校教員時代、2校目として村上女子高校に赴任した。この地に5年間住んでいたのだ。久しぶりに村上市に来たので、私が住んでいた2軒長屋がどうなっているかと見に行った。その場所の現在の姿が上の写真である。もうすっかり変わってしまっていた。2軒長屋が3棟並んでいたのだが、全部なくなっていて、後には洒落たお家が建っていた。何ともはや、である。

 お昼にかけて訪れたので、当時時々食べに行っていたとんかつ屋さんに行った。いやぁ、こちらは昔のまま。懐かしいなぁ。
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 かつてよく頼んでいたとんかつ+ご飯+スープを今回も頼んだ。そうそう、この味! 懐かしい味である。でも、厨房にいたご主人と奥様はすっかり白髪になっておられた。

 そこで、ふと考えてみた。私が村上市にいたのはもう27年前になる。私が26歳〜31歳の5年間をここで過ごしたのだ。その間に昭和から平成に変わった。村上市を後にして27年が経つことになる。時の遠さをしみじみと感じた。というか、あの時から私は27年間も生きてきたのだ、という思いが強烈に湧いてきた。うーん、なんなんだろうね、この感覚は。

 私は初任地で小出町(現魚沼市)に住み、2校目で村上市に住んだ。その後は新潟市にずっと住んでいるので、あまり感じることはないのだけれど、こうしてかつて住んでいた場所を再訪してみると、その時のことが頭によみがえる。そうして最近は、あれからずいぶんな時間が経ったのだなぁ、という感慨を持つことが多い。それだけ歳を重ねてきた、ということか。願わくば、その重ねた歳にふさわしい自分でありたいものだ。

トヨタ自動車の社長のスピーチが素晴らしい!

https://www.youtube.com/watch?v=l147wqKkq6A

 Twitterで上記のスピーチの動画を知った。いやぁ、素晴らしいものだ。さらにそのTwitterの紹介記事には、このスピーチがなぜ素晴らしいのかという分析も載っていた。「現代ビジネス」の下記のサイトだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65476

 この分析を読んでから動画を見ると、一段とスピーチの良さがわかる。たゆまぬ努力の賜物だが、こうした力をより多くの人につけさせるにはどうしたら良いか、私はそちらに関心を向ける。

 このスピーチの動画を検索した時、ジョブズの下のスピーチ動画も見つけた。いやぁ、スピーチっていいですね。スピーチする力をつけさせたいね。

https://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg

読み聞かせで夢見ること

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 2年生は2週間の幼稚園実習を(ほぼ)終え、今週から授業再開である。私の担当する言葉指導法Ⅱも2週間ぶりである。今日は「読み聞かせの実践(2)」と題して、学生に読み聞かせを行わせ、それを相互評価する、という授業を行った。学生には、先日行った読み聞かせの実践で扱った方法ではない方法を選ばせ、その読み聞かせを3〜4人のグループ内で互いに演じ、相互評価させた。

 学生は実に和気藹々と読み聞かせをしてくれた。実習を経て、だいぶ読み聞かせが板についてきた感じである。実習中も読み聞かせをたくさんしてきたのだろう、自信が見える。ただ、相変わらず考え聞かせは苦手っぽいし、いっしょ読みは一斉音読が中心になってしまう。まあ、それでもいいのかもしれない。数ヶ月前はこうした読み聞かせ方を知らなかった彼らである。それが、今日彼らが示したようなところにまで辿り着いた。それを素直に喜ぶべきなのかもしれない。

 学生たちに、実習で新しい読み聞かせ方をさせてもらえるよう担当の先生と相談して欲しい、と頼んでおいた。彼らはそれを実行してくれたらしく、中には2つの読み聞かせ方を試して実習先の先生から「勉強になった」と言われた、と報告してくれた者もいる。しかし一方では、担当の先生に相談したが「それは園の方針と合わないからやめてくれ」と言われた、という者もいる。残念なことである。もっとも、この読み聞かせ方を本格的に取り入れたのは昨年度からだ。まだまだ周知させるには乏しい実践数だし、吉田新一郎さんの本は出たけれど読んでいる人はまた少ないだろう。読み聞かせに対する現場の意識が変わるのは一体いつのことになるのやら、遠い遠い話である。

 それでも、昨年度の卒業生が133名。今年度は127名が卒業予定である。彼らの大半は幼児教育の現場に出て行く。その彼らが少しずつ読み聞かせの新たな方法を試し始め、それが少しずつ浸透していけば、ある時にはブレイクスルーが起こるかもしれない。私も教員免許状更新講習で読み聞かせ方法の紹介をしているが、今年は2回の機会をいただいている。これらの活動がある時、実を結ぶことを夢見ずにはいられない。そうなった時、新潟県は読み聞かせの最先端を走る県になっているだろう。

 もしもそうなったら、私という幼児教育界の異端者も、レーゾンデートルを見いだせるのかもしれないな。

読み聞かせの方法を教え終えて

https://www.youtube.com/watch?v=fJMwhxVjyh4
メム・フォックスの読み聞かせ

 先週の言葉指導法Ⅱの授業で、3つの読み聞かせ方法をほぼ教え終えた。通常の読み聞かせ、考え聞かせ、対話読み聞かせを比較するために変則的な進度計画だったが、とりあえず3つのクラスにいっしょ読みを含めた読み聞かせ方を全て伝えることができた。今週、学生たちは幼稚園実習に行っている。その直前ではあったが、読み聞かせ方法を伝えることで、少しは実習での読み聞かせを行うにあたり、学生たちにヒントや考えさせる材料を提供できたのではないかと自負している。

 学生たちのふりかえりをずっと読んでいた。いっしょ読みを紹介したクラスでは、「子どもと一緒に声を出して読むことで、絵本の世界に引き込まれやすくなるし、楽しく読めるようになる」といった感想を持った学生が多かった。いっしょ読みの特徴をよく捉えた感想だと思う。

 また、日本と欧米の読み聞かせの比較を紹介したクラスでは、「欧米の読み聞かせ方(メム・フォックスの読み聞かせ)は演じすぎず、声色や抑揚が使われ、音楽のように読んでいて、絵本の世界に入りやすく、楽しんで聞ける」という感想を書いた学生が多かった。これまた特徴をしっかりとつかんでいて、良い感想だと思った。総じて、彼らは個々の読み聞かせについてよく反応してくれ、それぞれの長所をよくつかんでいた。考え聞かせが相変わらず難しいという感触を多くの学生が訴えており、「考え聞かせをいかにわかりやすく習得させるか」という、私の次の課題が明確になった。これもまた嬉しいことである。

 と同時に、危惧もまた覚える。いっしょ読みを紹介したクラスでは「この読み方が自分には一番合っていると思う」という感想が出ていた。まだ彼らは、3つの読み聞かせ方法のどれが自分には合い、また合わないか、という視点でしか捉えていないと思われる。私が3つの読み聞かせ方法を紹介するのは2つの理由がある。

  1. 通常の読み聞かせ方だけではない、様々な読み聞かせ方があることを知ってほしい
  2. その様々な読み聞かせ方の特徴を掴み、目の前の子どもたちの「言語援用能力」を伸ばすために、場面や自己の計画・目的に沿った読み聞かせ方を選択できるようになってほしい

 先週までの授業で、1番目の目的はほぼ達成できたと言っていいだろう。しかし、2番目の目的はまだまだ達成できていない。これを達成するのはとても難しいことだ。

 確かに、授業の内容が3つの読み聞かせ方の紹介であったため、学生たちの意識が方法にとらわれてしまうのは仕方のないところである。しかし、折につけて「大切なのは読み聞かせをする目的である。子どもたちのどんなことを伸ばすことを目的とし、その目的の達成に一番ふさわしい方法を選択できるようになろう」と言い続けてきた。その甲斐あってか、日欧比較のクラスでは「子どもたちの年齢や状況にあった読み聞かせをしていきたい」という感想を書いた学生が数人いた。私の願いとしては、こうした感想を持つ学生が受講者の大半を占めてほしいことだ。そうでなければ、3つの読み聞かせの方法も単に珍しいやり方、という理解だけ終わってしまう。あるいは、自分はこちらが得意で、そちらは不得意だ、という自分を中心とした方法の選択になってしまう。これは私の本意とするところではない。

 読み聞かせについては、実習明けにあと2回を予定している。1回は紹介した読み聞かせ方から1つを選び、友人たちと相互に実演させる。残り1回は3つの読み聞かせ方についてレポートを書かせる。このレポート書きの際に、もう一度「目的を重視し、それに合った方法を選択する」ことの重要性について、声を大きくして訴えようと思う。それが届かなければ、私の授業は失敗である。