『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観た

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 この夏,ぜひ観てみたいと思っていた映画がある。それが『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』である。私は映画をほとんど観ない。そのため,今週末で新潟での上映は終わりと知っていても,なかなか腰を上げずにいた。しかし,家族の応援もあり,意を決して観てきた。うん,やはりよかったね。

 正直なことを言うと,少々難しかった。何しろ完全なドキュメンタリー映画である。もちろん字幕は映し出されるのだが,解説や場面説明の類は一切なし。今,何が映し出されているかはもちろんわかるのだけれど,それが全体としてどんな意味を持つのか,先の場面と今の場面との繋がりは何か,そもそも制作者はどんな意図でこれを映し出しているのか,などは何も語られない。それでいて,10分の途中休憩も合わせて3時間45分くらいかかるのだ。なおかつ,映画館の環境がやや窮屈なものだった。そうした条件もあって,期待していたほど堪能した!とは言えなかった。この映画はかなりのレディネスを必要とするのだろう。事前にニューヨーク公共図書館がどう言うものかをある程度知っていないと,あるいは日本の図書館行政を知っていないと,この映画の真の良さを味わうことはできないだろう。東京では『未来をつくる図書館』の著者,菅谷明子さんをゲストスピーカーに招く映画館があるようだが,そうした演出がないと一般の人には理解しにくいだろうなぁ。

 それでも,一つ一つの場面に映し出されるものは流石に目を見張るものばかりである。これが図書館の活動!? と思わせるものがいくつもあった。これは事前の期待通りであった。中でも印象に残っているのは「黒人文化研究図書館」の存在と活動である。アメリカでもある教科書会社が発行する教科書は,かつて奴隷として無理やり連れてこられた黒人たちは自らの意思で働きに来たかのように記述しているそうだ。しかし,黒人文化研究図書館の館長は,そうした間違った記述を教えられても,この図書館に来れば別の記述を目にすることができ,正しい姿を確認することができる,と言っていた。図書館は,全ての人に(本当に全ての人。障害者やホームレス,貧困層なども含む)等しく情報にアクセスする権利を守り,そのための情報を収集する場所であることがわかる。同時に,政府や一部企業の偏った考え,自分たちの都合の良いような見方に人々を誘導しようとする勢力に対して,あらゆる情報へのアクセスを保証することで,そうした偏った考え方から人々を守る働きをもする。それが図書館なのだと理解させられる。まさに,民主主義の砦が図書館なのである。

 映画では,何度も図書館の運営費をどう捻出するか,乏しい予算をどう配分しやりくりするか,その話し合いの様子が映し出されていた。上記のような尊い活動も,運営スタッフたちのこうした努力と信念によってなんとか支えられている状況だ。彼らは公共図書館が社会から求められている機能,姿を実現するために一生懸命になっている。それは政府の意向を慮るようなものではなく,民主主義という形而上的な理想をこの地上に実現しようと必死になっているかのようだ。それは,恐ろしく美しい。そして,不断の努力を続けていない限り砂上の楼閣になってしまう,危うく脆い作業である。それを,信念を持って取り組んでいる人々の姿が数多く映し出されていた。うーん,やはりいい映画だな!