「詳細な解釈の授業」も楽しいもの

 今日は2つの授業があった。1つは古典講読、1つは理数科古典。古典講読は久しぶりの授業である。何しろ後期に入ってからやっと4時間目である。そして、先々週以来、2週間ぶりの授業であった。前回、ようやく漢文の「韓信」を訳し終えていた。だが、まだその意味を解説しておらなかったので、その解説から始める。もう2週間も間隔が開いてしまうと、こんなことをやるのが意味がなくなってくる。私は65分授業を心から愛する者であるが、これが65分授業の欠点ではある。1コマの授業が長いから、逆に1週間のコマ数が少なくなり、2単位の授業の場合はこのように曜日やら行事やらの関係でまるまる1週間授業がなくなることが起こる。困ったものだ。「韓信」の後、『大鏡』の「道長女院詮子」の文章に入る。まずは便覧で関係人物の関係を確認し、その後音読練習をさせ、さらに敬語の確認をさせる。私がゆっくり本文を読み、生徒にはそれを聞きながら敬語の箇所に線を引いていかせる。しかも、尊敬は傍線、謙譲は波線、丁寧は点線を引かせる。このように敬語が複雑な文章はすぐに敬語のチェックをさせる。これは特に大鏡では必須の作業だ。
 古典では「御法」を読み進めている。明石の中宮の和歌を解釈し、それらの唱和を誰が「いつまでもそうあって欲しい」と願っているかを考えさせたりする。別にゆっくり進めようとは思っていないのだが、今日も数行しか進まない。でも、こうやっていると楽しいなぁ。重箱の隅をつつくような解釈の授業と批判を受けるような授業の姿だけれど、細部を綿密に確認してこそ立ち現れてくる姿というのもあるのではないか。まあ、要するに楽しいんだけれどなぁ。
 その授業の間はひたすら教材研究、特に現代文の「日本の庭」について、難解箇所の解読を進める。同僚に解釈を尋ねたり、一緒に考えたりする。いやぁ、こいつが遅々として進まない。もっと今日は進めておきたかったのだが、致し方ない。
 うーん、博論が進まないなぁ。考察を書き直すためのデータの分析をやり直したりしてはいるが。
 ところで、プリンタを物色している。今のところ、昨年のプログレッシブ機で安くなってきているのを狙っている。例えば下のものなど。

 ところが、いろいろ調べていくと、例えばこの機種はMacOSX10.5.8以降にしかプリンタドライバが対応していないのだ。私が今メインで使っているMacのOSは10.3.9である。もはやPantherはこれらのプリンタは相手にしていない。こりゃ困ったね。EPSONも同様である。hpの機種などは10.6以上だ。
 うーむ、これはいよいよメインのMacLeopardにアップしなければならないかなぁ。