「朝の読書もしっかりやり切ろう!」

 今日は学年集会があった。学年部長の話は月曜日の最初に十分話していたので、今日は他の担当者から年間の予定や心構えなどを話す。前3学年部長、進路指導、学年教務、奨学金係、そして学年読書係からの話であった。
 奨学金の話は事務的な伝達が主なので話の筋が別であるのは当たり前だが、それ以外の4人の話は全て月曜日の学年部長の話とリンクした内容のもので、非常に興味深かった。それぞれが単純に「勉強しよう」と目前の利害に関わることを話すのではなく、高校3年生という1年間を含めた人生全体を視野に置いて、その中にあってこの1年間をどう過ごすべきなのか、今何をすべきなのかという切り口で話していた。
 学年読書係として私が最後に話をすることになっていたのだが、私の前の4人の話を聞いていて、「あぁ、思いは皆同じなのだなぁ」と思った。生徒がこの1年間を大切に過ごして欲しい、という思いを話す全員が共有していた。今日の5人は事前に打ち合わせをしたわけではないけれど、思いは皆同じであった。そして、この高校3年生という1年間が人生の中で特別な時間であることも、その特別な時間を思い切り堪能して欲しいことも、みんな共有していた。私は前の4人の話を聞いていて、自分の思いを一段と強くすると共に、その話の流れに一緒に乗るよう、自分の話の切り口を頭の中で何度も修正していた。
 我が学年の朝の読書は危機的な状況にある。朝の10分間にちゃんと本を読んでいる生徒はおそらく半数に満たないだろう。他は勉強をしているか、遅刻してくるか、である。そんな彼らに、朝の10分間はちゃんと読書をして欲しい、という訴えを、「朝の読書もしっかりやり切ろう!」と呼びかけることで伝えた。朝の読書は通常の読書の形態ではない。これはもはや学年行事、今年で3つの学年全てで実施するのでいわば学校行事である。
 学校には生徒を成長させるという大きな目的がある。その目的は2つの側面によって達成される。1つは学習によって、そしてもう1つは課外活動によって、である。学校行事とはこの課外活動の一つである。そしてその目的もまた、生徒を成長させ、一人の責任ある人間を作り上げるということなのだ。よって、その学校行事もしっかりとやり切ることによって、その行事が意図している目的を達成できる。それを中途半端に済ましてしまったら、学習を中途半端にするのと同じくらいの損失を被るわけである。
 私が「朝の読書もしっかりやり切ろう!」と力説したのは、それが学校の存在目的を達成する学校行事の一つであると同時に、読書には当面の利害とは関係なく、当人の人生を左右するものとの出会いを実現する可能性があるからだ。そこで、スティーブ・ジョブズスタンフォード大学でのスピーチの一節を引用して、直面している利害とは関係ないと思われるものが後の人生にとって大きな役割を果たすことを訴えた。そして、読書はその最たるものだと伝えた。
 私にとって学年集会で話すことは挑戦でもある。昨年の集会において時間を守らないという致命的なミスを犯した私にとって、今日の話を与えられた5分以内で終えるというのは至上命題だった。正確に計ってはいなかったが、どうやらこの課題は達成できたようだ。いや、一番の問題は私の話で生徒の心が動かされたどうか、彼らの行動が変わるかどうか、である。
 今日は授業が3コマ。現代文2コマと古典1コマ。いよいよ授業が本格的に動き出した。