『コクリコ坂から』

 待望のこの映画を9月3日に観てきた。それから10日ほど経った。ようやく感想をまとめられそうだ。それほどに、私にとってこの映画は心に残る作品だった。私的ジブリアニメ・ランキングの殿堂入り作品である。
 私の心を付いた点が3点ある。1点目はノスタルジー。2点目は学生の自治、3点目は海と俊の恋愛、である。
 1点目。この作品は1963年の横浜が舞台である。私が生まれて2年後、その時の、まだ東京オリンピックの開発が完全には世界を覆っておらず、道は舗装されておらず、商店街は白熱電球がともり、高校生たちは純粋で前を見つめている。私の記憶にあるのは、この作品の世界からもう少し後からだけれど、ここで描かれた世界は確かにかつての日本にあったものである。それを、過去のものとして描かず、現在の行われているものとして描いている。
 2点目。ストーリーは主人公たちの通う港南高校にある明治以来の建物、「カルチェラタン」の取り壊しを阻止しようとする運動の中で展開する。この「カルチェラタン」は文化部の部室棟として使われている。そのカオスの様、主人公の海が言う「魔窟」の様子、超個性的な部活動と部員たち。そして彼らは「カルチェラタン」取り壊しの反対運動を生徒会長の水沼を中心に起こし、風間俊が「週刊カルチェラタン」を発行して、その様子を逐一報道する。学生たちによる討論集会、そこでの激論・闘争と、それをカムフラージュする手際の良さ。海の発案によって編成された女子義勇隊によるお掃除の楽しさ。そこには学生たちが皆で一つのことに取り組む集中と楽しさがある。この学生たちの様子は実に見ていて気持ちがよい。
 3点目。主人公の松崎海は船乗りであり、事故で亡くなった父のために毎朝国際信号旗を庭に揚げている。「U・W(航海の安全を祈る)」である。それを海上のタグボートから毎朝見ていて、回答旗を掲げている風間俊。彼らの出会いと初恋、そして出生の秘密にまつわる擦れ違い、それをも克服する決意と勇気、そして最終的に出生の真実が明かされ、二人は明日への希望を抱いて「U・W」旗が掲げられている自分の家「コクリコ荘」を海上から見上げる。それは、亡き父からの二人の未来への祝福である。
 このヒロイン・海の造形が実によい。先にテレビで放映された「ふたり〜父と子の500日戦争」という、この映画のメイキングを追った番組によると、監督の宮崎吾朗は海の造形に迷いに迷っていたらしい。父の脚本に沿って絵コンテを切っていた時は、海が想い過去を背負う暗い少女になっていたそうだ。確かに、そのままの造形だったならばこんなにも魅力を感じなかっただろう。しかし、父から贈られたイメージボードをきっかけに元気ではつらつとした海へと方向転換し、あのように魅力的な少女が造形された。父・宮崎駿のインスパイアに脱帽するとともに、それを受けてあの魅力的なキャラクターを創造し得た宮崎吾朗も素晴らしいものである。『ゲド戦記』での低評価を払拭できる、素晴らしい才能の持ち主であることをこれで証明したと思う。
(以下、ネタばれ満載です。未見の方は注意!)
 その海が俊と出会い、恋をし、俊の態度の豹変に傷つき、悩み、それでも俊を愛していくと決意する。その過程が非常に説得力があり、どんどんと彼らに感情移入できるようになっている。カルチェラタンの屋根から防火水槽に飛び込むというパフォーマンスをやってのける俊、それを目の当たりに見ていて、思わず水槽に駆け寄る海。その晩、いつものように旗を降ろしている海の目に、まるで旗から飛び降りてくるような俊の幻影を見て、海は恋に落ちる。まだ自覚できないその恋は、翌日に妹の空の付き添いで「魔窟」カルチェラタンを訪れて、俊の所に行き、ガリ切りの手伝いをする場面で次第に自覚されていく。俊が気になり始めるのである。その晩、買い物に慌てて出て行く海に偶然通りかかった俊と出会い、彼の自転車に乗せてもらってコクリコ坂を疾走する。この躍動感が素晴らしい。海の心をそのまま表現したものである。翌日の朝、高校の玄関で俊と会い、言葉を交わす。その日の放課後、討論集会に参加した海は、俊の真摯な大演説に心打たれるのである。そして、二人で帰る帰り道、海はカルチェラタンの大掃除を提案する。初めて俊に「メル」と呼ばれた嬉しさ。このあたりの展開は絶妙である。
 コクリコ荘の下宿人、北斗の送別会に俊と水沼を招く海。その時に、俊は海の家にある彼女の父親の写真を見て、自分たちの秘密のつながりを発見するのだ。それを確認する俊。海は何も知らずに、俊との距離がどんどん縮まっていくのを喜んでいる。しかし、その日以来、俊は海を避け始めるのだ。いくつかのやり取りの中で、自分が俊に避けられているのを知った海は、意を決して彼の帰りを待ち、直接俊に「嫌いになったのなら、はっきりそう言って!」と告げる。その時に知らされた出生の秘密。海は衝撃を受ける。それでも彼女はいままで通りの態度を貫き、俊を苦笑いさせるのだ。この辺での海の怪訝な表情と避けられていることを知った悲しみが実に素晴らしく表現されている。
 カルチェラタンの大掃除は着々と進み、同時に学生たちも大半が取り壊し反対に回る。ついに完了した大掃除。そこに水沼によってもたらされる、取り壊し決定の知らせ。学生たちは水沼と俊に、そして海も加えて、理事長に直談判に行くのだ。
 理事長との会見場面で、理事長から取り壊し反対の理由を聞かれる海。声優たちの収録では、監督はこの時に、普段から無愛想の海だが、この時は一段と無愛想な声を出してくれ、と注文したそうな。それが逆に、気負いも裏もない、真実の想いの存在を理事長に感じ取らせたのだろう。海の父の死のことも知り、理事長はまさに海に会うことによって、カルチェラタン訪問を約束するのである。
 その帰り道、二人で夜の横浜を歩く海と俊。他愛のない会話が交わされ、いよいよ海は市電に乗って帰る。その時、ついに意を決して海は俊へ自分の強い想いを告白するのである。それに答える俊。このあたりの展開も実によい。
 帰宅してみると、思わぬ海の母が留学から帰ってきていた。そして、母に自分と俊との関係を聞く海。母の言葉に安堵し、泣き伏してしまう。翌朝、理事長の訪問の場面も楽しく、微笑ましい。理事長の理解がこれまた納得されるように描かれる。急転してカルチェラタンの存続がその場で決定される。そこへ俊が飛び込んできて、海とともにエスケープする。二人の出生の秘密を知っている第3の人物が外国航路に出発する矢先だという。急いで駆けつける海と俊。通船に乗り、外洋船に乗り込む時、タラップに先に俊が飛び移り、海に手をさしのべる。海は俊の胸目がけて飛び込み、俊はがっちりと彼女を抱きとめる。このあたりは監督が脚本での指示をさらに自分なりに拡大解釈して付け加えたシーンである。監督の「親心」が生み出した、クライマックスのシーンであろう。この物語を海と俊との恋物語だとするならば、クライマックスのシーンはまさにここである。監督はドラマツルギーをよく知っている。
 父たちの親友だった小野寺から、俊の父親が海の父親とは別であることを知らされる。時を隔てて、父たちの親友と、その親友の娘と息子との再会。2世代の青春がつながる場面である。
 最後に海は俊の父のタグボートに乗って、俊とともに自分の家コクリコ荘を見上げる。そこには「U・W」の旗がひらめく。この旗のはためき具合は、まさに海の心をそのまま表している。彼女の心が高揚する時、旗もまた力強くはためく。彼女の心が沈む時、旗もまたうなだれる。今、旗は力強くはためき、二人の未来を祝福するのである。翌朝、いつもの通り庭に旗を揚げる海。彼女にはこれからの希望で溢れているだろう。
 エンディングで流れる、手島葵の「さよならの夏」がこれまた秀逸である。この映画は随所に彼女の歌と、学生たちが合唱する歌が流れる。これらが実にインパクトがあり、心に残る。BGMの使い方は少し疑問に思う箇所があるものの、音楽全般もとても良い。
 いやはや、こんな素晴らしい映画に出会えるとは思わなかった。私の趣味のツボにストレートにはまった、ということもあるだろうが、ジブリアニメの中で一、二を争う素晴らしい出来の作品である。